秋だから?

今日はほぼエンドレスで平井堅の「思いがかさなる その前に…」のシングルを聴いていました。僕はボーカル入りの曲を聴くときでも、歌詞もメロディーの一部として聴いているので、あまり歌詞の意味とかは考えることはないんですが、今回はどうやらこの歌を聴きながら色々と感傷に浸るのが悦に入ってしまったようです。毎回、いったんこういうモードに入ると、しばらく続くんですよね。(あ、ちなみに仕事も一応ちゃんとやってましたので。。。)

前にも書きましたけど、自分の精神状態は極めて安定していて、あえて言うとマンネリ状態なので、特に何か落ち込んでいるとか、悲しいことがあるとかそんなんではないんです。ただ、何となく気持ちをフリーにして、徹底的にもの悲しくなるのが嬉しくて、楽しいんです。秋だからなんですかねぇ。たまにはこういうのもいいですよ。心がキレイになったような気がして。元気になります。

ねぇ いつかキミは僕のことを忘れてしまうのかな

その時はキミに手を振ってちゃんと笑ってられるかな

ねぇ そんな事を隣でキミも思ったりするのかな

思いが重なるその前に強く手を握ろう

最高です(^^ゞ

夢見すぎ??

ていうか、同じ事してるblogを発見してしまった。。。

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教会を訪ねて

最近、僕はヨーロッパに行くと必ず教会に行くようになりました。

はじめの頃は、何となく地図を見て街歩きをするのに目的地として設定しやすいし、教会を辿っていくとちょうどよい休憩場所になる、という単純な理由だったのですが、最近は教会の雰囲気そのものが好きになって目指すようになりました。

ヨーロッパの街ならどんなに小さな村でも、必ず街の中心に教会があり、周囲の広場では子供達が遊び回っているような光景をよく目にします。観光客が必ず訪れるようなでっかい教会を訪れるのもいいですが、どこかの田舎町の教会とかを訪れると、またちょっと違った雰囲気を味わえます。その街の生活の一部に自然にとけ込んだキリスト教の文化がそこにはあるのです。

外の喧噪がうそのようにひっそしとした、そしてひんやりとした薄暗い空間に揺らめくろうそくの炎、ステンドグラス越しに差し込むまばゆい光、そして、意識を吸い込まれそうになってしまうような空間にたった一人たたずむ自分。。。

教会の中には神聖な雰囲気を作り出す、ありとあらゆるテクニックが尽くされているのです。僕には特定の宗教に対する信仰はありませんが、あの荘厳な雰囲気はとても魅力的に感じます。

旅行の日程に週末が重なる場合には、日曜日のミサに参加してみるのもいいでしょう。最初は段取りがよくわからずに混乱すると思いますが、周りの人のやっていることを真似していればなんとかなります。それに、わからないことがあれば親切に教えてくれます。その土地の人の温かさにふれ、よりその街に愛着がもてるようになるでしょう。

こんな事書いていたら、またヨーロッパ旅行に行きたくなってきてしまいました。お金が貯まったら、来年にでも遊びに行こうかと思います。

さて、今度はどこに行こうかなぁ。

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実家に帰ってみたの巻

最近のmixi夜はものすごくレスポンス悪いですね.今日も新聞で,このサイトが紹介されていたので,さらにこれから重たくなっていくのでしょうか...

さて,今日は予告どおり実家に帰ってきました.やっぱり子供時代に長い時間を過ごした土地というのはなんとなく落ち着きますね.団地の中の公園や建物,家の目の前の小学校の校庭とか,ひとつひとつの場所に関連するたくさんの思い出があって,それらを思い起こしながら街中を歩き回ると感慨深いものがあります.

僕のかつての友人は,いまや恐らくほとんどが実家を離れて別の土地に行っていると思いますが,ごくたまに街中で懐かしい友人と突然会うこともあって,楽しいです.

今日は一日雨降りだったので,家に閉じこもってました.で,久々に「塊魂」というゲームをやってなかなか爽快感がありました.これは,自分が転がしているボールより小さな物体をくっつけながら徐々に塊を大きくしていき,制限時間内に目標の大きさまで成長させるという非常に単純なゲームです.

雪ダルマを大きくする喜びというか,フンころがしの心境というか,自分の作った塊がどんどん大きくなって,家やらビルやらを巻き込むぐらいになってきたときの気分がたまりません.

人を巻き込んだり,ビルを巻き込んだりすると,「わー」とか「きゃー」とか「うへー」とかいろんな声がしてきて,特撮ものの怪獣が街を破壊しているような情景になります.音だけ聞いていると,なんかホラー映画を見ているんじゃないかって感じかな.

たまには,脳みそを解放してこんなゲームをするのも,気分転換になっていいなと思いました.

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中蓋なし事件

今週は会社で自己申告とかあって結構神経を使い、ちょっと週末にかけて疲れ気味だったので、20時ぐらいに帰宅しました。で、久々に炊飯器君に登場していただき、家で食事をしました。何か料理をしようかと思って、スーパーに行ったのですが、結局カンパチの刺身を買ってきてしまったので、これといった料理はしませんでした。

で、本日のびっくりは、炊飯器の中蓋を付け忘れたまま、最後までご飯を炊いてしまったことでした。ご飯が炊きあがった頃、そろそろおかずの準備をしようと思って、台所に立ったら、目の前のかごの中にアルミの蓋が置いてあって、「やばっ!」と思ったのでした。

ちなみに、中蓋を付けずに炊くとどうなるか知ってますか?

恐る恐るのぞいてみたのですが、結局、普段と何一つ変わらない炊き具合でした。なので、中蓋はなくてもあまりどうってことないということが判明したのでした。よかったよかった。

しかし、一人暮らしで刺身のパックを買うというのもなかなか勇気がいります。どう考えても一人で食べるには量が多すぎるのです。ただでさえかわせみは小食でBMIが低すぎると言われるぐらいなのに、それも、同じ食材をひたすら食べるというのはなかなか大変です。

まあ、おかずには悩まされましたが、炊きたてのご飯というのはそれだけでかなり美味しいものですね。これだから家での食事はやめられません。

明日は、郵便物とかを取りに久々(一ヶ月ぶりぐらい)に実家に行ってみるつもりです。最近非常にご無沙汰をしているので、たまに帰るのも結構楽しみです。

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他人の幸せ

毎日家に帰ると必ず郵便ポストに広告ビラが入ってます。で、まともに見ることもなくそのまま、その下に置いてあるゴミ箱に直行です。こんな運命にあるビラ達なのに、何でいつまでたってもポストに入り続けるのでしょうか?

確かに、ビラが山ほど入っていると、たまには本当に僕宛の郵便物とかが紛れているので、少なくとも一つ一つ確認しながら捨てずにはいられません。だから、今日の場合も、「ああ、あの出前の寿司屋のウニはうまそうだったなあ」とか「今度排水溝が詰まったらあの掃除屋に頼めばいいんだ」とか考えるわけです。もしかしたら、そこがビラを配っている側の意図なのかもしれませんね。少しでも印象に残ればそれでいいと。そんな刹那的な目的の下にあんな派手なビラを毎日毎日僕の郵便受けに入れているのでしょう。

まあ、毎日郵便受けが空っぽであることに比べれば、何かしら入っていた方が何となく気分がいいので、僕は特に迷惑だとは感じていませんが、ご苦労なことだなあとは思います。郵便受けのすぐ下にゴミ箱が見えていながら、チラシを配る人々も少し、自分の心に手を当てれば、虚しさを感じるのではないでしょうか。同じ仕事をするにしても、少しでも意味のあるというか、何かを変えられる仕事の方がやっていてうれしいのではないかと思うのです。

ビラ配りみたいに、相当効率の悪い仕事をするのは、仕事を仕事として割り切らないと、とても続かないでしょう。自分の労力がどれだけ生産的にはたらいたとかは、一切考えてはいけないのです。むしろ、結果として得られた報酬で、自分のプライベートがどれだけ楽しくなったかで、評価しなければいけないでしょう。そう割り切れば、こういった刹那的な仕事でもそれなりに続けられるのかもしれません。でも、僕はそんな仕事したいとは思いません。時間がもったいないです。有限の人生を無駄に過ごしているような気がして。仕事も、人生の糧の一部だと僕は思っているのです。

しかし、そう贅沢を言っていられないのも世の中の事実なわけで、色々な立場の人がそれぞれの思いで様々な仕事をしているから、この世界は回っているんですよね。

今日も僕の郵便受けにビラを入れていたお兄さんか、お姉さんか、おじさんか、おばさんかわかりませんが、そのひとが僕の郵便受けに「ゴミ箱直行ビラ」をいれることによって、例えばそのひとの今週末のデートがちょっとでもリッチになり、幸せな時間を過ごせるのなら、毎日ポストを開けてビラをゴミ箱に投げ込むぐらいの僕の労力は惜しんではいけないなと思います。

そんな、どーでもいいことをアルコールに侵された脳みそで考えながら今日も日記を書いてみました。では、おやすみなさい。

今日のアルコール度数:★★

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