精神論ぽいけど。。。

自分が現役の時には考えられなかったような博士課程進学率の現在は、ノリで、何となく進学しているようにも感じられる雰囲気の学生さんが多く、まさかモラトリアムの延長で進学を選択していやしないかと感じ、彼らの将来は大丈夫なのかと、少し心配になってしまいます。

ゆるゆるの課程で名ばかりの学位を取得して卒業してしまったらなおさら、世界の先端の学際的な研究コミュニティに立ち向かっていくには戦闘力が足りないのではないかと感じたりもします。

まあ、卒業後に日本企業に勤める選択をするのならば問題ないのかもしれませんが、学位取得者が特段優遇されない日本企業に勤めるんだったら、わざわざ博士課程に進学する意味って何だい?と聞きたくなってしまいます。

大学のような、学問に関する研鑽を積む場にあっては、どれだけ自分より能力の高い人、凄い人、自分にはとてもかなわないと思える人に出会えるかが、そのキャリアを無駄にしないための重要なポイントだと思います。そして、そのパワーに圧倒され、自分の弱点に気づくこと、それまでの自分という人間の負の特性を知ることに、その時間の価値があると思います。なぜなら、ネガティブな自分を知らなければ、成長も望めないからです。

大学の研究の場合であれば、直接その人に出会うということもあるでしょうし、論文を通して優れた研究様式を知るということもあるでしょう。世界中で競争し合うスピード感、緻密な観察、正確な研究プロセス、逃げのない論理性、妥協のない完備性、情報整理能力、物事の本質を見抜く洞察力、一段抽象的にものをとらえられる考察力、こういった、研究者にとって欠くことのできない精神力を鍛えられるかどうかが、博士課程に進学し、駆け出しの研究者として認定されることの本質だと思います。

いい加減な自分、逃げる自分を咎める人がおらず、心地よく、生ぬるい環境に自分の身を置いたら、それは、人生を無駄にしていること、もしくは自分の衰退を助長していることだと感じるぐらいの方がいいと思います。自分の研究者としての適性を知らずに、間違えて卒業してしまうことを避けるためにも、モラトリアムの延長とは対極にあるべきものだと思うのです。

まあ、他人に言わせれば、かくいう自分も、このモラトリアム人間に属しているのかもしれませんので、今は他人の心配より、自分の心配をしないといけないのかもしれませんが。

カテゴリー: 研究, 自分 パーマリンク

精神論ぽいけど。。。 への1件のフィードバック

  1. Yuichi Hasegawa on Facebook のコメント:

    どの道を選んでも通ずるものがありそうですね

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

*