格差か個性か

僕は、東京以外に実家がある人に結構あこがれます。

何となく、東京に実家があるのって郷愁とかを感じにくいように思うのです。その土地出身であるということの仲間意識みたいなものも薄いような気がしますし。

特に、多摩ニュータウンに代表されるような戦後の高度成長期に都市計画された街というのは、当然のことながら全く歴史がないし、結果としてその土地独特の雰囲気とかがなく、あらゆる意味で無機質、均一、癖がないのです。

だから、自分の生い立ちを振り返るとき、田舎が他のどこでもなく、そこでなければならないという必然性をあまり感じないのです。

まあ実際のところ、もう少し視点を広く持って見てみれば、実は東京以外の地方都市も意外とどこも同じような顔をしていて、個性がなくなってきているのかなとは思います。

日本は地方と中央との格差をなくすために、まんべんなく公共事業をやっていて、どんな田舎に行っても道路が立派に舗装されていたりするのは本当に驚きで、世界に誇るべき点だと思います。

新幹線とか、高速道路も整備されて、昔に比べてどこに行くにも移動時間が短縮されてきていると思います。公共事業に限らず、様々なサービスが全国展開していて、どこでも同一のサービスが受けられるようになっています。

全国どこに行っても、東京と同じテレビ番組が見られますし、携帯も何の切り替え操作もなく普通に使えます。どこにでも必ず、セブンイレブン、ファミマ、ローソンがあります。

でも、結果としてその土地でなければ味わえないような独特の雰囲気を感じることができなくなってきていると思います。

格差という言葉で表現すれば、ネガティブなだけですが、個性、文化という言葉で表現するべきものが失われているのです。

その土地に住む人にとっては不満であり、改善を望むものなのかもしれませんが、旅行をする立場の一人間としては、楽しみが少なくなってしまうことを少し残念に思います。

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春の混雑

春は朝のラッシュがひどくて困りますね。

今日は、花粉症がひどかったので会社に行く途中、いつもの井の頭線ではなく、京王線に乗って笹塚にある耳鼻咽喉科に行ったのですが、明大前駅で電車に乗ろうと思っても人があふれ、すぐには乗れませんでした。

今は、明大前から乗るので大して混雑も苦になりませんが、かつて八王子から大学まで京王線で通っていたときは本当に大変でした。一限から授業があるときはまず、通勤時間帯の電車に乗ることになるので、地元の駅では椅子取りゲームに勝たねばなりません。

新宿までの約1時間睡眠がとれるか、体の節々が痛くなるほど人の重みに耐えて踏ん張ることになるかには、その日一日のやる気を左右するほど天と地の差があり、椅子取りゲームの時は本当にみんななりふり構わず自己中になっていました。

そのころを思うと、今はそんな醜い争いをする必要もないので幸せです。

まあ、この混雑もゴールデンウィークを過ぎると自然と緩和されるから不思議です。それだけ学生が通勤時間帯に電車に乗るかが混雑の度合いを決めているのでしょうか。キャンパスが休み明けに急にスカスカになるのと同期していましたから。

花粉さえなければ電車を避けて自転車通勤するんですが、どうしようもありません。あえていうなら、ラッシュになる以前のもっと早い時間帯に電車に乗るのが一番賢い行動パターンだと思いますが、そういう行動をみんななかなかとれないからこそ空いているんですよね。。。

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キャノンデールと共に

今日の予定は二転三転した末、結局自転車を走らせることになりました。海を見に行こうということで、決めた目的地は晴海埠頭の先端。何ともしぶいセレクトです。

ルート的にはこんな感じです。

明大前→新宿→四ツ谷→皇居→銀座→築地→晴海埠頭→築地→銀座→皇居→日比谷公園→国会議事堂→表参道→代々木公園→明大前

全行程約40kmでした。

イベント的にはこんな感じです。

皇居の内堀通りが車両通行止めになっていて、自転車天国だったこと。(長い直線片側4車線のど真ん中を走るのは爽快です。)

皇居の桜が満開でとても綺麗だったこと。

晴海埠頭に自衛隊の護衛官が4隻ぐらい停泊していてなんか物々しい雰囲気だったこと。それ以外は特に何もなくてちょっと残念だったこと。

築地で食べた寿司が美味しかったこと。

日比谷公園で目に小さな虫が入り、痛かったこと。

同じく日比谷公園内で買ったペットボトルが160円もしてショックだったこと。

国会議事堂周辺は警官がいっぱいいて、写真もろくに撮れなそうな雰囲気だったこと。

代々木公園のNHK周辺は相変わらずいっぱい若者がいて、音楽演奏していたこと。

自転車に乗ると、あまりおしゃれができないので、銀座とかで店に入りにくいのがたまにきずですが、渋滞知らずで意外と高速に都内を移動できることに驚きます。

天気がよくて暖かく、風は涼しくて最高のサイクリング日和だったのですが、少し前よりはマシになったものの、花粉がやはりネックでした。

ああ、杉やら檜やらがあまりない国に住みたいなぁ。

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春なのに初雪?

今日から新たな生物と同居することになりました。

生物といっても、ハツユキカズラという植物なのですが。ふと立ち寄った無印で、この無造作な感じが気に入って購入してしまいました。

最初は下の苔だけ買おうかと思ったのですが、あまりにもシンプルかなと思ってこんな感じになりました。

植物とかって、とても安いので気軽に買えてしまうのですが、これでも生きているわけですし、何とか頑張って枯らさないようにしないとなと思います。ペットとかならもっと大げさになりますけど、僕にとっては植物ぐらいの生物が今はちょうど良いです。

お店では劣悪な生育環境だったようで、多少ヨレヨレになってますが、そのうち復活してくるでしょう。また変わってきたらココで紹介します。

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300円で得た収穫

先週聖蹟桜ヶ丘を散策したときに、実はちょっと気が向いたので、小さなスケッチブックと鉛筆、消しゴムを買い、桜を眺めながらその風景を描いていました。

もっと簡単な風景を対象にすればよかったのですが、何本も桜の木が重なって見える構図を選んでしまったので、枝の様子や、桜の花びらなどを描写するのに非常に時間がかかりました。

でも、だからこその楽しみもありました。

僕はこういった絵を描くとき、フォーカスの中間から描き、手前、そして奥といった順番で描き込んでいくのですが、フォーカスごとに重ね書きをしていくときに、他のレイヤーの絵が今描こうとしているものとの相対的な関係で、本来あるべき位置にぴったりとマッチすると、まるでジグソーパズルのピースがはまったかのような、快感があるのです。

最初は適当なところでネグろうかと思っていたのですが、あまりにも楽しいので、正確に描写することに熱中し、時間も忘れて数時間、寒くなるまでずっと同じ場所に座って描き続けていました。

同時に、普段人工物を見慣れている僕にとって、自然の作り出した造形の複雑さを目の当たりにすることになり、その迫力に圧倒されました。

人間が作り出すものというのは、根本的に自然が何かを形作るプロセスとは全く違ったアプローチをとっているから、このような差が生まれるのでしょう。

人間の作り出すものは、基本的にかたまりを切り出すプロセスの繰り返しによって成り立っています。そして、切り出しの工数をかければかけるほど、できあがるものは複雑化するという仕掛けです。

一方、自然が作り出すものは、基本的に結晶を成長させるかのような、自己組織化のプロセスによって成り立っています。生物であれば細胞分裂を繰り返すことによって枝や、身体を形作るように。

そう考えると、明らかに自然の作り出すものには多様性や複雑さを

生み出すためのメカニズムが必然的に備わっているように思います。

人の手によって作り出される、いわゆる「人工物」も、この自然が必然的に備えているメカニズムをうまく取り入れるようになったとき、何か質的な変化が起こるのではないでしょうか。

今、この世の中に存在する人工物は非常にスケッチが楽です。多くの場合、それらの形は単純な線と面と周期性で構成されているからです。でも将来、もしかしたら桜の木の風景を描いたときと同じ感覚で、「人工物」を描けるときが訪れるかもしれません。

もし有機的な造形というものが、人間の手で自由にコントロールできるような時代が訪れたら、都会の風景はもっと複雑で、居心地のよいものになっているかもしれません。

3点セットでたったの300円程度。こんなに安い投資で、絵を描くという楽しみと、色々考えるきっかけを得ることができるなんて、お金も使いようですね。

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