300円で得た収穫

先週聖蹟桜ヶ丘を散策したときに、実はちょっと気が向いたので、小さなスケッチブックと鉛筆、消しゴムを買い、桜を眺めながらその風景を描いていました。

もっと簡単な風景を対象にすればよかったのですが、何本も桜の木が重なって見える構図を選んでしまったので、枝の様子や、桜の花びらなどを描写するのに非常に時間がかかりました。

でも、だからこその楽しみもありました。

僕はこういった絵を描くとき、フォーカスの中間から描き、手前、そして奥といった順番で描き込んでいくのですが、フォーカスごとに重ね書きをしていくときに、他のレイヤーの絵が今描こうとしているものとの相対的な関係で、本来あるべき位置にぴったりとマッチすると、まるでジグソーパズルのピースがはまったかのような、快感があるのです。

最初は適当なところでネグろうかと思っていたのですが、あまりにも楽しいので、正確に描写することに熱中し、時間も忘れて数時間、寒くなるまでずっと同じ場所に座って描き続けていました。

同時に、普段人工物を見慣れている僕にとって、自然の作り出した造形の複雑さを目の当たりにすることになり、その迫力に圧倒されました。

人間が作り出すものというのは、根本的に自然が何かを形作るプロセスとは全く違ったアプローチをとっているから、このような差が生まれるのでしょう。

人間の作り出すものは、基本的にかたまりを切り出すプロセスの繰り返しによって成り立っています。そして、切り出しの工数をかければかけるほど、できあがるものは複雑化するという仕掛けです。

一方、自然が作り出すものは、基本的に結晶を成長させるかのような、自己組織化のプロセスによって成り立っています。生物であれば細胞分裂を繰り返すことによって枝や、身体を形作るように。

そう考えると、明らかに自然の作り出すものには多様性や複雑さを

生み出すためのメカニズムが必然的に備わっているように思います。

人の手によって作り出される、いわゆる「人工物」も、この自然が必然的に備えているメカニズムをうまく取り入れるようになったとき、何か質的な変化が起こるのではないでしょうか。

今、この世の中に存在する人工物は非常にスケッチが楽です。多くの場合、それらの形は単純な線と面と周期性で構成されているからです。でも将来、もしかしたら桜の木の風景を描いたときと同じ感覚で、「人工物」を描けるときが訪れるかもしれません。

もし有機的な造形というものが、人間の手で自由にコントロールできるような時代が訪れたら、都会の風景はもっと複雑で、居心地のよいものになっているかもしれません。

3点セットでたったの300円程度。こんなに安い投資で、絵を描くという楽しみと、色々考えるきっかけを得ることができるなんて、お金も使いようですね。

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