適切な規模

いやはや,今日も飲みでした.

それも某グ○○トンで,隣のお客さんと意気投合してしまうというハプニングもあって,波瀾万丈でした.

いろんな新しい人と出会いがあるのは楽しいことですけど,初対面でいきなり,「私は彼がいい!」なんて言われても,訳がわからず,戸惑い,ちょっと引いちゃいます.

僕の何を知ってるんだろうと思っちゃうからです.

その場の流れで発せられた適当な言葉だと分かっていても,「もっとじっくり観察してから言った方がいいよ」とか,どうでもいいような気遣いをしてしまいます.

人の内面を理解するってのはそんな容易いことじゃないだろうと思うからです.後で,「やっぱ違った」なんて言われても困っちゃいますし.

お褒めの言葉をもらうことが嬉しいのは事実ですが,天の邪鬼な僕は,何の脈絡もなしにそう言われてしまうと,あまり素直に喜べません.

飲み会にしろ仕事にしろ,お互いの言っていることをよく分かるぐらいの規模でやるのがいいなぁ思うのには,そんな背景があります.

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知的リソースの有効活用

最近,やたらと数独がブームになっていますが,いったいなぜ,今頃急激に有名になったのかが不思議です.

僕が数独に出会ったのは,小学校6年生ぐらいのときです.その頃はちょうどアフリカにいたのですが,住んでいた宿舎に他の日本人家族が買って来たパズル本,ニコリがたまたま置いてあったのがきっかけでした.

ああいう土地で生活すると,そもそも周りに遊ぶような場所はないし,現地の言葉も分からないし,どこか外に一人で出かけていくということがほとんどないので,暇で暇で仕方ないのです.学校の友人の家に遊びに行くといっても,それぞれの家は遠く離れていて車で行かなければいけないような場所だったし,英語もロクに分からないにも関わらず,お互い何かして遊ぶには会話が比較的必要な年代だったので,家にいることが多かったのです.(ちなみに,そんな僕の友人達はほとんどが○○国の大使の息子って人ばかりでした...今思うとかなり特殊な環境でしたね.)

てなわけで,パズル本とかが置いてあるのはちょうどよい暇つぶしでした.今は,パズル本を買っても,パズルを解く時間があったら別のことをやるよなぁと思ってしまう感じなので,そんなにじっくりやることもありません.

でも,今,世の中ではブームなんですよね...

パズルでも脳力トレーニングでもいいのですが,こういう脳みそを柔らかくする系の問題は,議論の後とか,仕事の後とか,目一杯考え事をした後は,とてもではありませんが,やる気が起きません.疲れている脳にむち打っても,精神的にダメージが増すだけになってしまうからです.

てことは,これだけ世の中でブームになるってことは,知的リソースが余り気味になっていることの現れなのかもしれません.単純な処理的作業労働ばかりやることが増え,創造性をはたらかせるような機会が少ないために,潜在的に脳が刺激を求めているのかもしれません.

何となく,パズルみたいな非生産的な作業に知的リソースが費やされるのはもったいないなぁと思ってしまいます.パズルを解くエネルギーを使って,何かもっと革新的な発明ができたりしたらいいと思うのですが...

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ラーメン屋

行きつけのラーメン屋さんの味が変わると,それを敏感に感じてしまい,残念に思ったりすることがあります.

同じ店で,頻繁に経営者が変わったり,調理する人が変わったりするのに対し,常連客というのはそんな店側の都合とは関係なしに通い続けるものなので,味の変化には敏感であり,純粋な感覚を持っているのです.

そして店を運営する人が変わる度に,味と共に,その店の雰囲気,コンセプトも変わります.調理する人が変わった直後なんかは,試行錯誤中の新メニューなんかを食べさせられる羽目に遭遇し,それがその先数ヶ月で姿を消してしまう運命にあるような失敗メニューだったりすると,たまったものではありません.

美味しく味わった思い出が大きい分,新しい味に対して許容できる余裕が少なく,いつまでも昔の味に対する未練が残ってしまうのです.

これは仕事でも恋愛でも,アナロジーで語ることのできる話だと思います.

いい思い出が多ければ多いほど,過去の出来事と現在の状況を比較して物事を考え,未練がましくなってしまい,新しい環境に対する適応能力が低下してしまうことがあるということです.

でも,いつまでも昔の思い出にとらわれていても仕方のないことです.ラーメン屋も通い続ければ,新しい料理人が新しい味を開拓し,また別次元の美味しいラーメンを食べさせてくれるようになるのと同じように,新しい環境も違った次元で有意義な経験をもたらしてくれるものだと思います.

変化した事実を悲観するのではなくて,新しい環境に対する希望を見出そうとポジティブに生きること,それが美味しいラーメンを食べる秘訣だと思います.

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根拠

この一ヶ月間は,気分的に全く落ち着いたことのなかった期間でした.同時に様々な意味で,意図せず,ここ数年で大きな区切りの月になりました.

振り返ってみると,社会人になってすでに4年が経過していますが,今頃になってやっと,少しずつ自分らしさを大切に出来るような,気分的な落ち着きを持てるようになったと思います.

新しい環境,自分にとって少し背伸びしているように感じられる環境に置かれると,僕は何を根拠に物を言えばよいのかが分からなくなって,周りの視線を気にしたり,自分の至らなさを咎めたりする状況に陥ってしまい,戸惑いや焦りに翻弄されてしまうのです.

結局のところ,地道にひとつひとつ経験を重ねて,自分の信念の基盤を築いていかなければ,精神的に不安定な状況を解決することはできないので,自分の仮説を確認して根拠にしていくというプロセスにある程度の時間がかかるということは,仕方のないことなのかもしれません.そして,そういう気分的な翻弄を味わいながら,もがき続けることこそが,若さなのかなぁとも思います.

てことは,精神的な安定が得られることと引き替えに,オヤジ化ステップの一歩を踏み出しているのでしょうか...

僕は,あまり根拠もない仮説を信じ,それをまことしやかに述べ立てるという姿勢を見るのは好きではありません.だから,自分が発する言葉には,それなりの根拠,もしくは信念を持っていたいと思っています.

何となく,それが話を聞いてくれる人に対する責任のように感じるからです.

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感じること

最近,会社のイベント関係,そして狛フィルでの活動関係で弦楽アンサンブルをやる機会が猛烈に増えています.

そして,アンサンブルをやるのが楽しくて仕方がない...数をこなせばこなすほど,だんだんアンサンブルをやるコツ,楽しみ方がつかめてきたように思います.

アンサンブルをやるときには,全ての音を外さずにみっちり演奏するというよりは,拍を見失わず,落ちないようにして,鳴らすべき音をしっかり演奏し,最後まで通すことの方が重要なのです.

ある程度フレームワークが出来てきたら,ダイナミクスとか少しずつ演奏に色をつけていって,盛り上がっていくところ,呼吸を合わせるところをおさえていきます.

すると,パートごとにバラバラに展開したメロディーが再び出会うところのフレーズをうまくミートさせるところとか,メロディーのかけ合いとか,お互いの音を聞き合いながら小節を進めていくことを楽しむ余裕が出てきて,うまくいったときにはとても嬉しくなります.

この楽しみを味わうと,もっとやりたくなってきます.

この感覚は,ジャズのセッションとほとんど同じだと思います.音楽の自由さの程度には違いがありますが,嬉しくなる理由の基本は同じです.

クラシックは得てして,理解し難く,取っつきにくいと思われがちですが,何となく,格好いいとか,気持ちいいとか思えたら,それが全てだと思います.

頭で考えないで,感じること.こう思い始めると,色んなジャンルの音楽のよさが自然に分かってくると思います.

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