ペプシアイスキューカンバー

だって...くだらないものつくりますねぇ.

僕は,とりあえず飲みたくない.

ダイエット系のコーラではないので,合成甘味料を使ってないだけマシですが,砂糖水と,着色料,香料を混ぜて,瓜っぽい飲み物を演出したような液体を作ったところで,何が嬉しいんだかさっぱりわからない.

ちなみに,むかし,タブクリアっていう飲み物がありましたが,僕はあれを飲んで気持ち悪くなって以来,ダイエット系のコーラは飲めなくなりました.

基本的に,奇をてらいすぎた商品コンセプトは長続きしないものだと思います.

最近は,ビール,発泡酒,雑酒系の飲み物に,特にこういった一発ものの安っぽい商品コンセプトが乱立してるような気がして,作り捨ての商品を消費者に押しつけようとする酒造メーカーの怠慢は,消費者に対して失礼だと思います.

ここでいう安っぽい商品コンセプトとは,別にプレミアム系の演出をすればそれで解決すると言っているわけではなく,ポイントは,その商品コンセプトが今後20年ぐらいのスパンで消費者に受け入れ続けられるかどうかということを指しています.いわゆる商品寿命が長いのかどうかということ.

変化の激しい現在の世の中で,会社の経営にばかり視点が向いてしまうと,短期的な利益を維持することに精一杯になり,1年単位ぐらいの流行を追いかけるように,次々と新しい商品を生み出し続ける結果となってしまうのは,社会構造の必然なのかもしれません.

しかし,そんなことを繰り返していたら,歴史を積み重ねて,よりクオリティの高い文化を築きあげていくことは難しいのではないかと思います.

テレビ番組にしても,書籍にしても,楽器にしてもそうです.能力の低い制作者が,薄っぺらなコンセプトで,ただやみくもに種類を沢山作り出し,歴史という時間を埋め尽くしている現状が非常に気がかりです.

テレビ番組に関しては,民放の番組は,あまりにも視聴者を馬鹿にしたようなプロデューサーの意図が見え隠れするのが気になるし,番組を見ても何のためにならないし,時間がもったいなく,もはや見る気がしないので,ほとんどテレビ自体をつけることがなくなりました.

書籍に関しては,岩波新書に代表されるような本でさえ,一過性の流行をその書籍のテーマに取り上げることが最近顕著になっているような気がして,読み終わったらブックオフに売りましょう系に成り下がっているように思います.言い換えれば,何回も読み返して文章を吟味できるような本が少なくなったように思います.端的に言えば,○○新書,○○文庫,という名前を冠する事への出版社側のプライドがなくなってきたということだと思います.

楽器に関しては,学校で楽器製作に関する教育を受けただけの職人を大量に抱える工房で楽器が大量生産され,ラベルにかかれた名前の職人は実際にはほとんど製作に携わっていないような楽器が,毎年のように(特に日本で)大量に流通し,粗悪品なのにブランド名だけでメチャクチャ高い価格で取引されるような世の中が今の現状です.

ブランドというものは,本質的に価値ある商品に結果的に伴うものであって,ブランドを基準に物事を考えるのは,本末転倒です.

だから,世の中の様々な企業が築き上げたブランドを失わないように,躍起になるなんてのはもってのほかの行為です.商品価値も伴わないのに,ブランドだけを守ろうとしたら,それは消費者を欺こうしていることと同じだからです.商品価値が無くなれば,ブランド力を失うのは必然なのです.

僕は,一消費者として,制作者のこだわりや,哲学が感じられないような商品は,買いません.そんな製品を使い続け,自分の限られた人生という貴重な時間を費やすことがもったいないからです.

一方で,僕は,会社で働く人間,音楽を演奏する人間,すなわち何かを生み出す側の人間としては,例え小さな事でもいいので,自分なりのこだわりと,哲学を持ち続けたいと思っています.

そのこだわりが,周りの人々に受け入れられたなら,きっと自分の喜びにつながると思うからです.

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カメレオンの悩み

僕は,自分がカメレオンのような人間であると例えることがあります.

2つある目をわざわざ焦点が合わないように動かしてまで,周囲のありとあらゆる状況を察知しようとし,環境が緑色になったら自分の色も緑,茶色くなったら自分の色も茶,みたいなことを,神経をフル回転しながら常にやり続ける生物と言う意味でです.

これを言い換えるならば,十人十色の意見に常に耳を傾け,自分の意見はないがしろにしつつも,最大公約数,もしくは,最小公倍数を常に意識し,判断を下すということに対応します.

ありとあらゆるヴァリエーションの価値観でものを言う人々をまとめ,一つの方向性に持っていくためには,自分の意見を言うような余地はとても考えられず,常にそれらの調整に専念することで精一杯になって当然,という考え方が自分にはあったのです.いわゆる,「滅私奉公」という言葉に代表されるような哲学とでも言えましょうか.

でも最近,物事をまとめる人間とは,カメレオンであってはいけないのだなぁということを,痛切に感じるようになりました.

カメレオンなりの気持ちでは,世の中の自分以外の人が考える事は常に善であって,自分の考えることは悪である,だから,常に自分の気持ちを抑制してまでも,周囲の人の声に耳を傾け,一人一人の声が決して無視されることのない最大公約数,もしくは最小公倍数をとるべきである.ということになるのですが,それでは,何かを仕切って物事を進める上では,明らかに無理が生じるということに,気づいてきたのです.

例え自分は何かに秀でた有能な人間ではないと思い,何かを判断する十分な知識はとても持ち合わせないと思ったとしても,だからといって,全面的に自分以外の人が言う意見を受け入れ,調整すればいいというわけではなく,なにがしかの価値観と判断基準を持って意見を取捨選択していかなければ,物事はうまく進まないし,ある判断を下すことに対する周囲の信頼は得られないのだということを感じるのです.

そういう意味では,ある判断を人に委ねるだけではなく,自分が自信を持って判断を下すことをサポートする冷静な分析を常に忘れることなく遂行していかなければならないのだということ,言い換えれば,結局のところ,自分の脳みそを使って常に考え続けなければいけないのだなぁということを,実感させられるのです.

僕は,基本的にぐうたらな人間なので,自分の脳みそを動かすことは最小限になればいいなぁと,常に考えています.それに,自分より遙かに優秀な人々がいる世の中で,自分以外の人が考えた結果をうまく調整することができれば,物事はうまく回るに違いないと今までは思っていました.

でも世の中,意外とそうでもないのですね.自分以外の人が必ずしも完璧なわけでもないし,自分以外の人が判断したことを自分が取り入れただけだとしても,自分が判断したと言ってしまえば,結局その判断の責任は自分に降りかかってくるわけで,そんなリスクを負うぐらいならば,ちゃんと自分の頭で考え,判断を下した方が後腐れがないのです.

だから,多少「なんぎやなぁ」と思ったとしても,惜しみなく自分の計算リソースを提供すべきなのだなぁと思う,今日この頃なのです.

別に,特定の何かに対してこう思っているわけではなく,僕が生活する上での全ての事象に,この考え方は当てはまるなぁと実感しています.

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Romeo x Juliet

gooで第1幕から第7幕まで配信中...

ストーリーはかなりベタですけど,そんなこたぁ関係ない.

僕はこういう直球勝負なストーリーが好きです.

ああ,禁断の恋だなぁ...

アニオタですみません.

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インスペクター

ここ半年ぐらいずっと,オケの運営は大変と騒いでましたが,僕がオーケストラ活動をインスペクターとして運営サイドから経験したのは,今回の演奏会が初めてでした.

なので,当初はほとんどわからないことだらけであった一方で,時間と共に,次第に全体の仕組みが見えてくることが多く,自分自身の成長の面で,入社以来の演奏会では最も充実したものになったと思います.

僕がインスペクターをやる上でモットーにしていたことは,「音楽を楽しむ」という最も基本的なモチベーションを団員の皆さんに演奏会当日まで持ち続けてもらうってことでした.

「基礎練しろ」とか,「リズム,音程正確に」とか,「周りの音を聞け」とか技術的なことを指摘するのは,指揮者とかコンマスがやってくれるわけなので,僕は,そうやって指摘されたことを個人練とかの場で修正していこうとする前向きな気持ちを,自然な形で団員の皆さんに持ってもらえるような雰囲気作りをサポートしたいと思っていたのです.

重要なことは,「音楽を楽しめ」とか「練習しろ」って直接的に言うことではなく,「ああ,楽しい」とか「練習しなきゃ」ってより多くの人が内発的に思えるように,運営の面から間接的に影響を与えていくことなのです.

いくら音楽を楽しもうと思っていても,技術が伴わなければその気持ちを音に表現できないし,いくら技術があっても,表現したい気持ちが伴わなければ,単なる無味乾燥とした音楽になってしまいます.

気持ちと技術が相補的に向上していって最終的に充実した演奏会として結実させるのが僕の目標.

これは,仕事で強制されている活動ではない,アマチュアオケだからこその論理なのかもしれません.

インスペクター

演奏面以外のことで、楽団全体を取り仕切る。オーケストラによって仕事内容は違ってくるが、オーケストラの楽員のスケジュール管理、ソリスト、指揮者の付き添い、スケジュール管理調整、エキストラの手配など。オーケストラの想定しうるすべての情報を管理伝達しなければならない。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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僕に降りかかるお節介

今の自分は,いわゆるお年頃なのでしょうか.いろんな方面から,お節介に近しい親切心を受けることしばしばです.

まあ,要するに女性を紹介したいのだけれど,というお話ですわ.

「僕にはその気がないので無駄な努力だと思うよ」と言いつつも,どんな人なんだろうなぁなんて,ちょっと気になったりして(笑)

演奏会の打ち上げで,僕に誰を紹介すべきかなどというくだらない話題で勝手にどこかのテーブルが盛り上がり,突然僕のテーブルに人がやってきて「知り合いのチェロ弾きにすてきな人がいるんだけど,かわせみ君はその気はあるの?」と聞かれたかと思えば,昨日は突然夜に,かなり久々に従姉妹から電話があって「旦那の知り合いに一度会ってみて欲しい女性がいるんだけど,写真送ってもいい?」などど聞かれたり,最近一時帰国したばかりの母親に至っては,さっそく弟の同級生の母親と勝手に井戸端会議で話を進めて,その娘さんと僕を交えて4人で食事会をセッティングしようとしている始末...

ヴァイオリンの先生には,「やっと自分の気に入った楽器に巡り会えたことだし,次はいよいよお嫁さんを見つける番だね」なんて言われるし...

ヲイヲイ,僕の人生って何なんだよ!

まあ,確かに,自分の稼いだお金を自分の好きなように使って,道楽にうつつを抜かす僕の姿が,傍目には浮き草人生に見えちゃうのもわかります.

でも,実際問題,特別今の生活で困っているわけでもなくて,その生活スタイルを変える必要があるのかとも思っちゃうわけで...微妙な感じだな.

そんなことをヴァイオリンの先生に伝えてみたら,先生のところに通っている女性のお弟子さんもそんなこと言っているそうで,男も女も同じようなこと考えてるから,晩婚化と少子化が進んじゃうんだろうなぁ,なんて僕は解釈しちゃいました.

一人で生活しても,寂しさを感じなくて,生活に不自由もないような,便利な都会型の生活というのは,人類を滅亡させるきっかけになっちゃうのでしょうか...

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