今日は演奏会

その前に,報告事項を一つ.僕が6月23日の日記で騒いでいたフレンチボウ,1週間後ぐらいにはプロオケの団員さんに売れてしまったそうです.

あぁ,150万の木の棒が...

やっぱあの弓良かったよなぁ.少なくとも借りてみてしばらく考えれば良かった~.でも,そんな大金おいそれとは払えないわけで,ま,今回は仕方ないか.すぐに決断が下せないぐらい,僕自身の勉強がまだまだ足りないってことです.

また,新たな出会いを求めて日々地道に行くぜ~.

さて,今日は演奏会当日でした.

練習の甲斐があったかなかったか,本番ではリラックスして演奏することができて,とっても楽しかったです.

GPの後に前夜祭で四川料理を食べ,紹興酒をたらふく飲んで帰ったのがたたって,午前のステリハは,かなり体調不良でしたが,本番を迎える頃には無事復活.頭もスッキリハッキリで,「キメル」演奏ができました(って自分で言うな).

でもやはり,前日に刺激物を食べるのは控えた方が身のためですね.反省.

さて,来週からはKフィルに復活予定.どうぞよろしくお願いします.

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明日は演奏会

約1ヶ月ぶりの演奏会.きちんと練習の成果は発揮できるでしょうか.明日は朝早いから,早く寝ないと.

こちらのオケにお世話になって,もうすぐ2年目.僕が初めてトップサイドで演奏会に出させてもらったのも,このオケでした.たくさんのいい経験をさせてもらって,とても勉強になりました.感謝しています.

きっと,会社オケだけにいたら,ここ数年の僕の成長は無かったと思います.自分のキャパシティを超えてオケを掛け持ちするのは問題だと思いますが,やっぱり一つの団体だけにいるだけでは,視野が狭くなって,価値観が限定されてしまうように感じます.

なにより,たくさんの人とのつながりができることがとても嬉しい.

感動的な音楽と美味い酒,そして愉快な仲間.これらなくしてオーケストラは語れません.

音楽を続けてよかったと,つくづく思います.

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向田邦子さん

中学か高校生ぐらいの時から好きな作家の一人に,向田邦子さんがいます.僕と名前の漢字が2文字違いだったりするので,何となく親近感があるのでしょうか.

僕が受けたセンター試験の現代文にも,読んだことのある向田さんの話が取り上げられていて,その時はラッキーだなと思った記憶があります.

エッセイの内容としては,向田さんの父親のキャラクターがとても印象的で,中学だったか高校だったかの現代文の教科書に話が載っていたのを読んだときに,一気に好きになってしまったのがそもそもの出会いです.

亭主関白な父親で,子供達にとっては日々理不尽なことで怒鳴られたり,様々な決まり事があって窮屈なことこの上ないんだけれども,家族全員にとっては,父親の言うことは絶対であって,決して反抗したりはしないのです.

それは何故かというと,父親が家庭の外では家族の幸せを思い,自分の貧しい生い立ちで味わってきた苦労を自分の家族には味わって欲しくないという思いから,日々周囲の人に対して頭を下げ続け,懸命に仕事をして出世し,今の生活を築いてきたこと,さらに,父親の家庭での厳しい言動は,自分の理想とする家庭像を生真面目なぐらい真剣に考えて,実現しようと努力している,その実直さの裏返しであることを知っているからなのです.

父親自身は,家族みんなが健やかに,平和に生活できていることに幸福感を感じ,そんな家庭で自分が威厳を保っていられることを子供のように喜び,日々生活しています.

だから,子供達は普段家庭の外で苦労している父親のことを思い,父親の幸せのためにも,一見理不尽なようなことでも,あえて,我慢する気持ちを重ねているのです.

ひとたび家族ににトラブルが起きれば,不器用な言動ながらも,自分のとりうる全ての努力を傾けて,家族を守ろうとする父親の姿からは,家族に対する愛情と,人間としての温かみが深く伝わってきて,人を思いやる気持ちの本質はこういうところにあるのだなぁということを,文章を読むたびに思い知らされます.

父親が真剣だから,子供達も我慢します.反抗したり,ひねくれたりしません.父親が子供達を自分と対等な個であることを認めているから,変に甘やかしたりしないし,子供達も父親に甘えの気持ちを持ったりしないのでしょう.

こんな家庭の姿は,明治時代か何かのような雰囲気がしないでもなく,最近は優しいパパ全盛だし,亭主関白なんてまったく流行らないのかもしれませんが,少なくとも向田家の家族の絆は深く,非常に健全な家庭の姿のように僕は感じます.

興味のある人は,文春文庫から出ている「父の詫び状」辺りを読んでみたらいいかもしれません.

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ヴァイオリンの練習・その3

だいぶ間があきましたけど,今日はエチュードの話.

いつもの練習メニューだと,準備運動とスケール,ポジション練習やるだけで1時間は過ぎてしまうので,こういう単純な練習をずっとやっていると,エチュードの華やかさがオアシスのように感じられます.

エチュードは一般の曲に行く一歩手前の総合練習のような感じと言えばいいでしょうか.

大概の場合,初めから最後まで同じパターンの音符がずっと並んでいる一方で,様々なヴァリエーションでフレーズが展開していって,調が変わるたびに左手が押さえづらくなったり,微妙なポジション移動があったり,ボーイングが複雑になったりと,最初から最後まで色々といやらしい微妙な変化が続いてきます.

その微妙な変化というやつを,いい加減に通り過ぎず,むしろいやらしいところをピックアップして集中的に練習すると,エチュードもなかなか美しい音楽になります.

エチュードは曲ごとに極めるべきテーマが1つずつあるようなものなので,普通の曲ほど複雑ではありません.だから,一旦コツをつかんで練習すれば仕上げることは比較的容易なので,RPGのように経験値を上げ,レベルアップし,次々と進んでいける感が楽しいのです.

なんだかんだでエチュードも長い曲になると普通に1時間は消費するので,エチュード終わるまでで2時間の練習になります.

で,3時間目が課題曲やオケの曲.これで2時間使った日には,他にはもうほとんど時間がないのがおわかりでしょう.

例えば,日曜日.

10時ぐらいに起きて,洗濯機かけて,朝食食べて,洗濯物干して,テレビ見て,お昼作って食べて,13時頃.そこから4時間練習で17時.洗濯物取り込んで,夕食の材料買いに行って,作ったら20時.食べて,片付けて21時.

家にいると,楽器の練習ができるのはいいのですが,逆にこれしかやっていないような気がします.

1日って短いですねぇ.

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クローズドループ

誰かと話をしているとき,僕はいつも「人の話を聞け!」と,自分に言い聞かせてます.

相手が話し中であるにもかかわらず,ちょっと気を許すと何か別のことをグルグル考えている自分がいたりするので,

そんなとき,「おお,ヤバイヤバイ,このまま相手が話し終わっちゃったら,返答で話を何も聞いてないのバレバレじゃん」と焦り,

相手の話す文章の意味解析とストーリーの要約,それに対する自分の解釈と意見の構成 etc… のプロセスを再開させるわけですが,

時々復帰するのに失敗して,話題が突然どこかに吹っ飛んじゃったり,とんちんかんな返事をしたり,ゴメンナサイしてしまうことがあります.

表面的にはフンフンと真剣に聞いているそぶりを見せているにも関わらず,心の中では聞いていない.これ,かなり問題です.

ちなみに,慣れている,もしくは心を許している相手と話しているときほど,うわのそら感が強いのは,僕は,相手のことに気を遣い,相手の話に対してあえて注意を向けようとしない限りは,基本的に自分のことを考えているという性格だからだと思います.

でも,自分以外の人のことに関心がないからこうしているというわけでもないのです.

相手の話を聞き流してしまいながらも,相手は今どんな気持ちでいるんだろうなんてことに真剣に思いを巡らせていることもあるわけで,「相手の話は聞いていないのに相手のことを考えている」ことがしょちゅうあります.この矛盾したような行動があるために,僕は二重人格とか評されることがあるのかもしれません.

しかし,根本的に,自分に興味がない話題だと無意識的にスルーしてしまうってひどい話ですよね.あまりにも相手に対して失礼.僕の話している相手がそういう人だったら,怒り狂うに違いないのですが,自分自身がそういう性格みたいなので,自己嫌悪になってしまいます.

変に気を遣うと本当の自分じゃないし,疲れてしまうのだけれど,ありのままの自分で行動すると,あまりにも変人すぎる.

困ったもんです.

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