久々に楽器に触れる

前回のソニーフィルの演奏会以来,あまり楽器に触っていなかったのですが,今週末は3連休でもあったので,久々にヴァイオリンの練習をしました.

面白いのは,最近は楽器をしばらく弾かなかったからといって,必ずしも演奏が下手にならないということです.むしろ,同じ曲が昔よりも上手に演奏できるようになっていたりします.なんといいますか,しばらく時間をおくと,頭の中が整理されて,昔はモヤモヤとしか演奏できなかったところがクリアーに演奏できるようになっているのです.

演奏会に向けて毎週のように練習があるときなどは特に,限られた時間を見つけて,時間に追われるように練習しているため,頭の中を整理する暇もなく,自分に追い打ちをかけるように練習している雰囲気になります.そうすると,本来は腰を落ち着けて考えれば簡単に演奏できそうなところも,頭がこんがらがった状態のままで,ただ繰り返し演奏しているだけなので,いくら練習してもうまく演奏できない状態になっているのです.

ところが,しばらく時間を置くと,なぜか簡単に演奏できるようになっています.なんで昔はあんなに無理やり演奏しようとしていたんだろうと思うぐらい,簡単に見えてきます.というのは,うまく弾けないところだけがはっきりと見え,かつ,何を改善すればいいのかがピンポイントで分かるので,1回1回の練習の効果が非常に高くなり,ちょっと手を動かすだけで,すぐに演奏できるようになるからです.というわけで,最終的な仕上げのような練習になり,全体的な完成度も非常に高くなります.

したがって,最近は,あまり練習し過ぎて効率が上がってないなと思ったら,わざとしばらく時間を置くようにしています.こうすると,楽器を演奏することそのものに対するモチベーションも高まってきたりします.

プロの演奏家ではこんな事ありえないかもしれませんが,アマチュアならではのペースの作り方だと自分は思っています.

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楽器の練習とは...

演奏会以来,若干燃え尽き気味でもあり,環境が落ち着かないということもあり,しばらく楽器を触っていなかったのですが,ふとした事からバッハの無伴奏が弾きたくなり,今日は思い立って練習をしてみました.

面白いもので,自分が聞きたいと思う曲は一定の時期を置いてローテーションしていきます.少し前までは,バッハの無伴奏のような混みいった音楽は疲れてしまって頭が受け付けなかったのですが,しばらくぶりに聞いてみたら,結構すんなりと心に入ってくるようになりました.

おまけに,弾きたくなって来たので,練習することにしたのです.

バッハの無伴奏は中学校ぐらいの時にパルティータの3番の1楽章が教本に載っていたのを弾いたのが初めてです.だから,まあ,親しみは無くはないのですが,これまで何度も,何度も挫折してきました.根気がないのが最大の原因なのかもしれないですが,あとは,基本的な技術が追いついてきていなかったということがあると思います.例えば,単音の正確な音程さえ取れない状態で弾くのは,はっきり言って無謀です.重音を追っているうちになんの曲を弾いているかわからなくなって,途中で疲れてしまうからです.

パルティータ2番のシャコンヌなんかは比較的有名で,憧れる曲の一つですね.かく言う自分も今まで何度も挑戦してきましたが,大体練習しているうちに疲れ果てて,1曲通し終わる前に力尽きていました.で,今日やってみた感じはというと,前よりは弾きやすくなっていました.今自分がどんな構造の曲を弾いているのかが意識できるようになってきたので,少しは余裕を持って引けるぐらいに技術が身についてきたってことなんでしょう.

昔は,こんな長い曲弾けないよと思っていた自分ですが,この間やったマーラーに比べたら圧倒的に短くて,これなら弾けなくないよな,と思える,より広い視点が持てるようになってきました.

後はそうですね,4本の指じゃ足りないと思わせる程の重音をどれくらい余裕を持って弾けるかということなのですが,自分の考えでは,あらゆるポジションで的確に指を押さえられる感覚を身に付けることに尽きます.ちゃんとポジションが分かれば,後はその組み合わせなので,単音から重音になるところで混乱せず,頭をクリアに保っておけば何とかなるのです.

曲全体の中で,ここさえ弾けるようになれば通せる,と思えるぐらいに全体の曲の見通しが良くなってきたので,あとちょっと頑張れば結構いい感じになりそうな雰囲気になってきました.

ヴァイオリンの練習で重要だと思うことは,何かモヤモヤしている部分に見て見ぬふりをすること無く,そういう箇所を敢えて凝視して,どうやったら弾けるようになるのかを,腰を据えて考えることだと思います.オケの曲の練習でもそうです.何となく通せたからとか言って,本当はちゃんと弾けていないのに通りすぎて,弾けない自分を見て見ぬふりするのは最悪だと思います.後は,オケの曲とかで休みの後に入るタイミングなんかにしてもそうです.曲を聞きながら楽譜を眺めていたって,理解の怪しくなった自分に注意を向けておかないと,なんの意味もありません.

弾けない自分を凝視して,弾けるまで突き詰めないと,人に聞かせる演奏にはならないと思います.

1日24時間では足りないような,慌ただしい世の中に生きているとは言え,見てくれの成果や,いい加減な仕事をして,スピードばかり追い求めるのはどうなんだろうと,いつも思ってしまいます.これは,これまでの自分自身に対する反省です.スピード重視で効率良くやったかのように見えても,オリジナリティが無かったり,成果の価値が少なかったりしたら,結局時間の無駄になってしまうわけで,結局は,じっくり考えて,真理を見ぬいて時間を費やすことが,最も効率の良い方法だと思うのです.

楽器の練習なら,いきなり速いスピードで何回繰り返したって弾けないのに,ゆっくりしたテンポから練習し始めると,いつの間にか,とても弾けないと思っていたテンポで弾けるようになっているのと同じ事です.

ともすれば,見てくれの効率で仕事をして,本質的でない成果を沢山出すことばかりが評価されるような世の中ですが,そんな潮流に流されることなく,じっくり考えられる自分でいたいと思います。

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地震がきっかけだったのか?

いまさらなんですが,去年の地震があった時のことを思い出しました.

余震が続いているのに,会社に出勤しなきゃいけないような状況に置かれた時,原発が爆発して,放射性物質が飛んで来ているかもしれないような状況になった時,「会社」っていう形態で経済活動を営み,毎日オフィスに沢山の人が集まって仕事をする意味って何なんだろうと思いました.

世界中の人が繋がって,何かプロジェクトを成し遂げようと思えば,分野によっては,別に会社という形態を取らなくとも,オフィスに人が集まらなくても,大きな資本金がなくても実現できる世の中になってきているのに,こんな大量の人が雇用契約と勤務管理のもとに朝集合し,夜に解散し,という活動を毎日続けるのは,単に今までそうやってきたから,新しい方法を考えるのが面倒だから続けているだけの,惰性的な活動なんじゃないかと感じました.

しばらく続いた余震を体感しているうちに,人間が築きあげてきた文明社会が地面からひっくり返されるような感覚を持ちました.今まで当然だと思っていた便利な社会が,脆くも崩れるものだということを思い知り,文明社会を前提に自分が盤石だと信じている価値観なんかも,意外とすぐに壊れてしまうものなんだろうと感じました.

意外と人の命はあっけない,という事実を知った時,どんなにお金を稼ぎ,溜め込んだところで,災害で命を落としてしまったら,全く意味がなくなってしまうのに,自分の感情を抑えて,将来の人生を支えるため,社会人としてのステータスを途切れさせないために,無理して仕事してお金稼いで,自分は幸せなんだろうか,と思いました.

で,最終的には,自分探しに年齢は関係ないよね,という結論になり,今の状況に至ったように思います.自分が死んでしまうことと天秤にかけたら,何でもできるよね,自分の気持に素直に生きなかったら,人生という時間がもったいない,という極端な価値観にたどり着いてしまったわけです.

なんか青い発言続発ですが,素直にそう思ったのです.

苦労を知らない,世の中を知らない,向こう見ず,計画性なし,楽観的,鈍感,頭が悪いだけなのかもしれませんが,不安はあまり感じませんでした.会社を辞める決断するにあたって迷いはしましたが,それは,自分が欲張りだったからだと思います.

普通考えたら,今まで歩みなれた道を外れてしまうというのは,とても不安になることなんじゃないかと思います.

普通は現状の自分や環境に疑問を感じたり,もっと(一見)魅力的に見える生き方が見えかけたとしても,今まで歩んできた道を外れようとはそうそう考えないものだと思います.それは,ある場所に留まった時間が長かったり,築きあげてきたものが大きければ大きいほど,その留まり続けようとする力は大きくなるように思います.

自分の場合は,新しい道を歩み始めるリスク,将来の不確定性に関するリスクと,今のままの道を歩み続けることによる将来の見通しとを天秤にかけて,どっちが得かを考えたり,自分は新たな道を切り開くようなエネルギーをまだ持っているのか,将来的にやっていけるか,くじけないか,自分に負けてしまわないかなどの要素を考え,自分を見つめた結果,以下の様な考えに至りました.

金銭的な損得で考えたら,損の可能性が非常に高い.自分に負けてしまわないかを考えると,まあ,自分はそもそも体育会系じゃないし,病弱とは思わないけど,あまりタフな人間じゃないだろう.でも,このまま惰性的に歩むと,そろそろ自分の大きさを認識し,後は自分が縮小していくだけのような気がする.何か,折り返し地点を過ぎて,あらゆる意味でこれまでの貯金を食いつぶしていくだけの人生になっていくような気がする.今まで築きあげてきたものを失うことを恐れ,無難に世渡りするだけの人間になるような気がする.自分の信じている価値観なんてすぐに崩れ去るかもしれないのに,今まで築きあげてきたものにとらわれるのも馬鹿馬鹿しい.まだ別に安定は求めてないし,一度の人生,(それなりにも)安定性が保証された道を歩むのは,何かつまらない.自分の大きさを決めてしまうみたいで嫌だから,もっといろいろな世界を見てみたい.もう一回新しい環境に自分を置いて,異なる価値観に触れ,フレッシュな視点を持ちたい.

じゃあ,そういうことで...

というわけです.

30代半ばにもなって,まだモラトリアム的人生を歩んでいるのですね...自分でも変な人間だと思います.

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確定申告の練習

会社から源泉徴収票やら退職金のお知らせやら色々送られてきたので,かなり気が早いのですがe-Taxを使って確定申告の練習をしてみました.

ここのところ,地方税やら国民年金やら,立て続けに振り込み伝票が送られてくるので,その流れで,来年はどのくらい税金がかかるんだろうというのが気になり,試算してみたというわけです.

昨年はFXの収入を申告して追加で課税されたので,確定申告って,何か税金を取られるだけの手続きのようなイメージでしたが,退職金には本当に税金はかからないし(何となく知っていた),かなりの額の税金が戻ってくることが判明しました.結局,今までは会社でやっていた年末調整と同じわけですが,自分で入力して計算すると実感がわきます.

しかし,e-Tax開発したのは偉いなと思います.税金の仕組みを知らなくても,書面の通りに記入していくだけで色々算出してくれるので,にわか税理士気分になれます.

あ,でも大学から給料もらうから,申告は大学がやってくれるのかも...

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演奏会

演奏会の翌日からロボット学会に来ていました.

というわけで,演奏会を振り返る暇もありませんでしたが,全体的には成功したと言えると思います.練習では結構危なっかしいように思いましたが,よく空中分解せずに最後まで演奏がまとまったものだと思います.集中力が良かったのかもしれません.

反省点としては,直前に色々変えないこと,これに尽きるかなと思います.

例えば,弓順を変えたり,指順を変えたりとか色々あるわけですが,楽譜への書き込みも結構鬼門だったりします.演奏会直前になると,楽譜に少し書き込みを増やしただけで,混乱を誘発しますし,汚かった書き込みを消しゴムで消して清書しただけでも混乱したりします.

なんか,メロディーに合わせて,楽譜を一種の風景のように記憶しているんだと思います.で,この音の時にはこんな風景が見える,という記憶をたどりながら演奏しているのです.だから,その聞こえと見えの一致が崩れると,記憶を修正するために流れが乱れちゃうんだと思います.

だから,演奏会直前になったら,なるべくその流れを乱さないように気をつけることが必要だと思います.

個人的には演奏をとても楽しむことができて,良い気分で終われた演奏会でした.今後の音楽活動をどうするかは考え中ですが,最近はまた基礎練が不足しているように感じるので,少しそちらにも重点を置きたいなと感じています.

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