色を作り出す人たち

問題や物事の本質を見極めること,長期的視点に立った価値を見いだすこと,こういうことのできる人が真の意味で強い人なんだろうと思います.

会社での仕事でもそうだし,研究でもそうなのですが,凡庸な人というのは大概,敏感に流行の技術にキャッチアップし,その技術からできそうなことを実現して,組織の目標にかなう技術開発をし,日々のお給料をもらっているような人々です.今年の技術トレンドが何だといったら,その技術に飛びつき,ガーッと技術開発しておしまい.次の技術はあれだとなったらそっちになだれ込み...組織の目標が変わったら勉強し直して...という波乗りの集団を形成しているのが普通の会社の普通の技術者です.それでお給料をもらい,家族を養い,日々の生活を成り立たせているのです.本当に絶滅危惧種のような希有な人を除き,所詮,公開されているツールを使いこなし,大衆のトレンドに迎合する技術者集団でしかありません.

統計機械学習,ソーシャル,クラウド,3D,有機EL,タブレット,ヘルスケア,ビッグデータ...ここ数年だけでも,一体どれだけのトレンドが巻き起こり,多くの技術者達が右往左往したことでしょう.

まあ,頭が柔らかくて,器用だから,そういう最新のトレンドにどんどん自分を適応させていくことができるわけで,そういう新しい技術への適応すらできない人たちと比べれば,遙かに優秀だといえるだろうし,短い期間の繰り返しなりにも会社の利益に貢献し,注目を集め,その研究分野を発展させるための貢献をしている,重要な人たちだと思います.言い方を変えれば,最新の技術の色を敏感に感知し,その色に自分を適応させる,カメレオンみたいな人たちです.

でも,これでは駄目だと思います.

その人自身が,自分の取っている行動に対してあまり深く考えていないように思い,それって凡庸な技術を凡庸ならしめている根本的な原因だと思うからです.流行りだからとか,みんなやっているからとか,そういう基準で自分の目標を決めていたら,結局短命の,ありきたりなことしかできないと思うからです.

もしかしたら,競争相手が多いことで,短期間でより技術が洗練されていくということがあるのかもしれません.しかし,同じ技術を追いかけるにしても,どれだけその技術の本質を自分のアタマで考え,表面的な手続きの奥にある技術の本質を見極めているか,その価値を見抜いているかが重要であるように思います.

そうでなければ,オリジナリティのある,価値のある改善案は出てこないと思うからです.誰でも思いつくようなことをやったって,ちょっとの時期の差はあれど結局みんな追いついて,ドングリの背比べになると思います.結局凡庸な技術者の一員ということになります.

価値を深く考えられていない技術というのは,得てしてあまり長く使われるような技術にはならないと思います.

普通の人というのは,苦しむのを好まないから,深く考え,悩むということを避けると思います.だから集団に埋もれ,凡庸な人になるということなんだろうと思います.物事の本質を見極めることなく,組み合わせとか,外見変更とか,付加設計とか,手っ取り早い解決策に逃げ,どうしようもない物を作ってしまうんだろうと思います.

やはり,他人より一歩抜きん出るためには,人より多く頭を回転させなければいけないし,日々技術的な心配事を抱え,悩むことは必然なのだろうと思います.

天才と呼ばれる人たちだって,技術的なことで悩んだり,体力的に限界になるところまで自分を追い詰めて仕事をしてその名声を勝ち得ていることが多くあるように思います.特に,過去の日本の技術者にはそういう人が多いように思います.

考え,思い悩んだ末にたどり着く結論に優劣がつくのは,もうその人の先天的な才能だと思うので,仕方ないと思いますが,深く考えることもなく安易な結論に妥協するという行為は,技術者として勝負をせずに棄権しているようなものだと思います.

凡庸な技術者や研究者の集団の一員として生活していきたいなら,それはそれで割り切った人生のスタイルだと思いますが,自分は満足できません.だから,人より長く考え,深く悩み,多く発案して,競合となる集団から一歩抜きん出たいと考えています.

そうでなければ,技術者や研究者をやっている価値無しと思います.安易な技術からは,技術者としての本質的な喜びは得られないと思います.

深く考えた人は本当に強い,太刀打ちできない,そういう経験をたくさんしてきて,安易な自分を戒めなければいけないと常日頃思っています.

世の中を切り開く人,導く人とは,生まれ持った才能はもとより,やはり他人より半歩でも一歩でも考えが先にある人たちなのです.その場しのぎの価値ではなく,より長期の価値を見据えた人たちなのです.カメレオンたちに真似させるための「色を作り出す人たち」と言っても良いかもしれません.

そういう人たちに自分は尊敬の念を持ちます.だから,自分もそうありたいと考えるのです.

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ブログ復活

ホスティングサービスの契約が切れてしまったので,ていうか,ホスティングサービスの会社を変えようと思ってわざと契約の更新をしなかったため,しばらくサイトがリンク切れ状態でしたが,無事引っ越しが終了しました.

WordPressって一回動いてしまえば便利に使い続けられますが,ホスティングサービスで自動的にWordPressをインストールしてくれる機能を使ってしまうと,引っ越しの時に設定がどうなっているのかわからず,結構面倒なことになるということがわかりました.

データーベースのネーミングポリシーが違ったり,WordPressのディレクトリ構成が違ったり,今回は,契約が切れても前のサイトのファイルが参照できたから良かったようなものの,完全に消えてしまっていたら,サイトを復元するのは結構大変だったかもしれません.

というわけで,今後ともよろしくお願いします.

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Objective-C

いわずとしれた,MacOS周辺の標準的な開発言語です.

C言語オッケー,オブジェクト指向ならC++で知っているし,たぶん余裕でしょー,という人でも,本当に初見でコードを見たときは,今までのプログラミング言語とのイメージのギャップに驚くのではないかと思います.

中括弧の先にまだクラスの宣言が続いていたことに気づき,

カッコを使わない関数(メソッド)呼び出しに唖然とし,

どれがメソッドでどれが引数だかわからなくなり,

なんでこんなに大括弧頻発?という突っ込みを入れつつ,

その他,-とか+ってなんだろー,えー,@ほげほげって何よ...BOOLはYES,NOっておい!

とまあ,初日は宇宙人と異文化コミュニケーションしているみたいで,脳内の既成概念が崩壊していきます.

でも,次の日からはだんだん慣れてきます.

脳の老化防止には,こういう刺激も重要かなと思います.

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まるで修行の身

さすがにゴールデンウィークともあり,Facebookには,いろんな人のいろんなアクティビティがどんどんと上がってきています.旅行に行く人もいるし,家族サービスしている人もいるし,イベントごとで全国飛び回っている人もいます.

とまあ,そんな様子を傍目に見ながら,私は研究室で一人黙々とコーディング->実験->文章書き->コーディングのルーチンにはまってます.

確かに普通は待ちに待った連休だし,遊ぶもんだよなぁ,と思うのですが,学生になってからというもの,平日と休日との区別があまり意識されなくなってしまい,「平日が忙しくて大変」とか,「休日が待ち遠しい」とか,そういう感覚がほとんどなくなってしまいました.

大学での研究って,基本的に誰に言われてやるものでもないし,自主的に好きでやっているものだから,ある意味毎日が休日みたいなものだし,その毎日の休日を楽しむために研究しているようなものなのです.

だから,連休になっても気持ちがあまり変わらないのかもしれません.特に旅行に関しては,なんか最近は,この年齢にして「し尽くし感」があって,昔みたいな感動がなくなってきちゃったのは,よくない老化現象かなと思っています.

煮詰まったら散歩して,たまに友達と飲んで,研究室に戻って,寝て,起きて,論文読んで,研究室に行って...

人間関係のしがらみもないし,スケジュールのプレッシャーもないし,報酬と引き換えの成果を求められるようなプレッシャーもないし,社会生活の規律もほとんど意識されないし,あえて言うなら,自分の年齢が締め切りみたいなものか.

こんな生活ずっと続けていたら,絶対,社会的にはダメな人間になりますね.

でも,入学から6か月の研究成果で,国内学会2本,国際学会2本の論文(学術講演会)は書きました!だから,ニートなんて呼ばないで...あ,大学にいるんだし,正真正銘educatedな訳だから,あえて言うならネット(NET: not in employment or training)か.

確かに,会社員だった時と比較して,勉強は本当によくできるようになりました.本を読んだときに,頭が知識を受け入れる余裕を残しているのが大きいです.

というわけで,再び社会に出たときに,これまで以上に社会の役に立つ人間になれるよう,もうしばらくの間,修行に励みたいと思います.

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3月末の卒業式

3月末と週末が重なっていることもあり、3月末で会社を卒業される方が結構いることを知りました。

しかし、どうも全般的に卒業する人達の平均年齢が若いなと感じます。明らかに定年でとか、戦力外でとかっていう理由とは違う雰囲気の人が、ほぼ自発的にバラバラと抜けていっているように見えます。

会社の将来への見通しと、自分が定年まで勤め上げるまでの年数を天秤にかけた末の結論かもしれないし、経営方針の変化で単に自分のやりたいことができなくなったとかの理由かもしれませんが、辞めるべき人の順番が違うよなって感じる人の動きに見えました。

2012年度中に1万人なんて時限付きで目標立てるから、こんなことになっちゃうのでしょうか。つじつまが合えばトップマネジメントは満足かもしれませんが、抜けるべき人材が会社にぶら下がり、自分の腕で生きる力の残っている人が抜けるなんて状況を続けていたら、ほんとマズイと思います。会社は戦力外人間の介護施設ではないはずです。

自分で締め切りを作って目標を立てて、約束を守れたら何か偉く見えるからこうしているのかもしれませんが、リストラは数字じゃなくて中身が重要なのではないでしょうか。これって、トップマネジメントにも悪名高き成果主義の考え方が浸透しきっていることの表れのように感じます。自画自賛の成果主義、ほんとアホらしい制度だと思います。

資産をどんどん売却して、退職金を加算して高給取りの社員を追い出して、なんてことを繰り返していたら、中高年世代が高度成長期の資産を全て吸い出して退職しきった後の会社は、今とはだいぶ異なった雰囲気になっているように感じます。

まあ、戦後復興の時代に戻って、誰もが自分の腕で商売をして明日の金を稼ぐぐらいの気概があった方が、過去の資産を食いつぶして生き延びるより、よっぽど健全な組織になれるように感じます。身の丈の自分の姿を知ることこそ、次のスタートへのきっかけだと思います。

会社員として組織に飼い慣らされ、社会ではとても独立して生きられないような弱い人間になってしまうぐらいなら、収入が減ってでも「生きる力」を磨いた方が、きっと幸せに一生を全うできると私は信じています。

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