シンガポールへの旅行

今回は数十年ぶりでシンガポールに旅行に来て,リフレッシュをしました.

いろいろと印象的でしたが,治安が良いこと,親日的であること,衛生管理が行き届いていることが何より好印象で,誰にでも旅行に来ることが薦められると思いました.

ちなみに,今回僕はほとんどの食事をホーカーズという地元の人たちの公共の屋台みたいなところで食べました.とてもシステマチックで便利,おまけに安くておいしいので,ぜひ一歩踏み込んでみることをオススメします.地元の人たちは,自炊せず,ホーカーズで日常的に食事をしているのではないかと感じるほど地元に密着しているように見えます.経済発展が著しく,きらびやかな都市も魅力ですが,地元情緒あふれるホーカーズやマーケットのような場所に踏み入れることも海外旅行の魅力であると思います.まあ,東南アジアの料理は大体どこも美味しいです.何か,体が味を覚えている感じなのかもしれませんが.

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余談ですが,ホーカーズのお店でフレッシュジュースを売ってくれたおじいさんは,マンゴージュースをくださいと英語で聞いただけなのに,突然何かを思い出したかのように,非常にはっきりとした声で,ハイッ!と返事をして,支払いの時にはありがとうございますと言ってくれました.何も言ってないのにどうして僕が日本人って分かったのだろうと思いましたが,勝手な想像では,第二次大戦中に日本兵と何らかのコミュニケーションがあったのかもしれないと感じました.インドネシアに住んでいたときも,年配の人は,僕が日本人と分かるとその昔日本兵に習った歌を突然歌ってくれるとか,何度か同じような経験をしたので,きっと合っていると思います.

今回のおじいさんも,返事の仕方などの振る舞いに関して,幼少時に小学校などで習ったのではないかと思います.一方で,例え日本人でも今やこんな背筋の伸びるような返事をする人はいないよな,と思いました.

他のレストランやホテルでも,僕が日本人だと分かるとありがとうございますは日本語になるし,会計時に,日本人が大好きだと宣言するスタバの女の子の店員さんまでいました.年配の人たちにとっては,日本統治下の記憶は決して喜ばしいものではないと思いますが,東南アジアの国々の人々から,今の日本はどう見えているのか,機会があったらぜひ聞いてみたいものです.

東アジアの国々からは,右傾化していると批判が絶えない現在の日本ですが,道徳観を高く持ったり,礼儀正しくお互いにコミュニケーションしたりするというセンスを磨くということは,悪いことではないと感じています.豊かな時代になって,とかく緩みがちなこれからの世代こそ,世界の国々の模範となるような立ち振る舞いを身につけて欲しいと思います.

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さて,金融が盛んなシンガポールとあって,一等地の高層ビルを支配している企業はほとんど銀行です.その周辺の街の発展もすさまじく,高級ホテルと高級レストランが建ち並んでいます.食事をしているのはワイシャツにネクタイをした人々で,自分たちのステータスに対する満足感が高そうなオーラを感じました.最終日にはクラーク・キーという界隈にある川沿いのレストランで食事をしましたが,味はおいしいものの,価格が高くて驚きました.(金融街の周辺にある川沿いのレストランでは,食費は軽くホーカーズの約10倍になります.)本当に対比が印象的な街です.

とりとめもなく話は進みますが,シンガポールのエスカレーターはスピードがデフォルトで速いのが印象的です.日本でいえば,渋谷駅の東横線ホームにある高速エスカレーターが標準になっていると思えば良いでしょうか.メーカーでいうとシンドラーとか,オーチス製は高速エスカレーター,割と高級な街区にあった三菱製は日本と同じ低速エスカレーターでした.日本で突然高速をデフォルトにしたら将棋倒しが続出しそうですが,シンガポールの慌ただしいビジネスマンには,高速エスカレーターぐらいの勢いがちょうど良いのかもしれません.確かに,高速に乗り慣れると,低速はまどろっこしく感じます.

時間的に話は逆順に進みますが,初日は到着早々,シンガポール動物園に行きました.ここは特に動物好きにはかなりのオススメスポットです.市内からシャトルバスに乗って1時間近くかかるのでアクセスは面倒ですが,1日中いても飽きないと思います.何が良いかというと,まず,動物たちのショーが色々あるということです.ディズニーランドで見られるようなショーと,動物園が融合したような施設になっているのです.もちろん,来園者を楽しませるためのツボをおさえているという点で,見せ方が上手いということに尽きるのですが,一方で,動物たちのショーが可能なのは,それだけ動物たちの生命力が豊かだということの現れだと思います.

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多くの場所で,動物と人間との境界をほとんど意識させないディスプレイ方法を取っていて,まるで人間が動物たちの生活空間に迷い込んだような錯覚を覚えます.来客数に対して施設がかなりゆとりを持って作られているのがポイントだと思いますが,人口密度が非常に低いので,動物たちもストレスを感じなさそうですし,来客も非常にリラックスができます.

チンパンジーを見に行ったときは,突然僕が一人だけチンパンジーたちの前に現れたので,複数のチンパンジーたちに,しばらく見つめられてしまいました.こちらもじっと観察していたら,気にせず普通の状態に戻りましたが,きっとチンパンジーたちは,ヒョコヒョコと動く奇妙な人間を観察していたのかもしれません.

日本だったら,もっと動物を仰々しく扱い,目の前を動物たちが行き交うようなディスプレイ方法はとても実現できないと思いますが,シンガポール動物園では,目の前30センチをワオキツネザルが行き交い,コウモリたちが人目も気にせずくつろぎ,フルーツをめぐって取り合いの喧嘩を繰り広げる,という感じなのです.

今回訪れたのは,シンガポール動物園だけでしたが,他にもリバーサファリとナイトサファリという,同規模の施設が隣にまだ2つもあります.次回シンガポールを訪れるときの楽しみがあって嬉しいです.ちなみに,訪れるなら動物たちの元気のある午前中がオススメです.食事時のコツメカワウソのはしゃぎようは印象的でした.一方で,午後からは,どの動物もほとんど眠ってばかりいました.

気候としては,ほぼ赤道直下なので常夏です.朝も晩も暑いという,ある意味とんでもない気候です.湿度も高くて,例えるならば夏の京都が一年中といった感じです.また,日本の冬に旅行するとなると,凍り付くような東京から常夏のシンガポールに来ることになるため,冬服を持ちあるかなればならず億劫です.また,気温差が激しくて体が参ってしまいそうです.しかし,気軽に来られて,リラックスした雰囲気で旅行が楽しめるという点では,とても良い場所だと思いました.

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感動のツボ

ここ1,2年ぐらいでしょうか,やたらと涙もろくなりました.

ドラマを見ても,映画を見ても,音楽を聴いていても,話を聞いていても,なんだか突然,感動してしまうのです.

その内容は非常に多様で,家族の絆だったり,生命の神秘だったり,友情だったり,動物のけなげさだったり,人の努力する姿だったり,歴史だったり,人の運命だったり,ある意味何でもありの状態です.

で,なんか涙があふれる自分を予期できてしまい,これはまずいぞーと思っていると,現実になる,とそんな感じです.

会社の先輩がかつて,年をとると急に涙腺が緩んでしまうと盛んに言っていましたが,まあ,そういうことなんだろうと思います.

例えば,科学系の番組を見ていて,幾多の自然災害を様々な原始生物たちが生き抜いてきたということ,そして太古の昔から今に至る生命の歴史の中に自分がいるという事実を再認識し,そのかけがえのなさに感動します.

例えば,大陸の音楽に触れ,荒涼とした平原や乾いた大地,青い空に広々とした草原をイメージさせるフレーズに意識が吸い込まれ,美しい風景に涙があふれます.

それが例え,いつもは日本といがみ合っている中国や韓国のものであっても,自分たちを信じ,一つの文化を紡いできた集団としての存在として,長い歴史を歩んできた人々の営みの結果としての芸術であるということを思うと,どれも非常に崇高なものであり,人は皆,何が大切で何を信じる存在なのかは,根っこでは一緒なんだということを知り,現代の人々はもっと高い視点でお互いを見つめ合わなければならないということに,思いが至るのです.

ちなみに,私はスイスに留学して以来,日本人としての自分が強く意識されるようになり,その影響でか,日本が昔よりも余計に嫌いになったし,好きにもなりました.さらに,昔は関心の無かったアジア各国に対する親近感や興味が強くなりました.明らかに,自分は欧米人ではなく,アジア人だという当たり前のことを思い知ったからです.

私は,今の中国や韓国は嫌いです.メディアを通じて目にし,耳にするこの両国は,礼儀を知らず,自己中心的で,喧嘩好きで,謙虚さの無い,ろくな国ではありません.とてもじゃないけどつきあう気にはなれない,と強く強く思っています.

でも,実際にその国の人々に接し,その国の中で,より深く,その国の一員として生活したら,間違いなく,今自分が抱いている嫌悪感は消えてしまうのだろうとも思っています.

美しいものを愛で,美味しい物に喜び,人の優しさに感謝し,家族を大切に思う,という気持ちは,誰でも同じだということに気づくと思うからです.

結局のところ,私の感動のツボというのは,何かの本質を目の当たりにしたときに,その崇高さ,偉大さに仰天してしまうような状況にあるのかもしれません.

生命が太古の昔から今まで命をつなぐことのできた偶然性,親が子を守り,育てるという限りない営みが生み出す愛情と家族の絆,他人を慈しみ,尊敬することから生まれる友情と社会性,本当は深く心を共有できるはずの人間同士が戦争を起こしてしまう社会の矛盾性,その一つ一つが真理であり,避けられない現実であるということ,そして,その避けられない運命の下に,人々は生命をつないでいるという事実...

こういった本質を知ると,私はなぜか,感動して涙してしまうようです.

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SIMフリーiPhone

ついに日本でもSIMフリーのiPhoneが発売になりましたね.

ソフトバンクがiPhoneを日本で独占販売していたのは何時の頃の話かと思うぐらい,時代が変わったなと思います.ていうか,Appleによって強制的に変えられたとでも言うべきかもしれません.

日本における,ここ数年の携帯業界の変化というのは,本当にドラマチックでしたね.これまでに日本が独自に築き上げてきたエコシステムが見事なまでに破壊され,GoogleとAppleにほぼ市場は独占されたのですから.

NTTドコモは,なんであんなに頑なにAppleと対決しなければいけなかったのかなと思います.もっとはやく負けを認めて,早めに携帯端末メーカーを見捨て,通信会社独自のサービス部門はリストラし,iPhoneを発売していれば,ここまで深手を負わなかったように思うのです.ある意味,日の丸を背負ってギリギリまで端末メーカーを守り通した(後半で韓国のメーカーを重用していたのは納得いかないが)とも言えるのですが,あまりにもお粗末な経営判断でした.まあ,結局は土管化を恐れたのが最大の原因でしょうが.

i-modeのような通信会社独自のサービスなんか,もう風前の灯火です.若い人はもはやそんなサービス名すら知らないかもしれません.LINEでコミュニケーションするのが普通になり,キャリアメールも存在価値を失ってます.メールを使うにしても,キャリアメールを使うとキャリアに縛られるし,PCでチェックしたりできないという不便さから,メールを使うならもはやgmailが常識です.

SIMフリースマホが普通になり,特定の端末を欲しいが故に通信会社を選ぶ,という縛りがなくなったとなれば,もはや通信会社は土管化を免れないでしょう.

ていうか,留学中のスイスではそれが普通でした.通信会社は,品質の良い通信網の整備に専念する.それで十分だと思います.

現状,持ち込み通信機器では月々の料金の割引が受けられず,満額のプランしか契約できない,なんて通信会社各社は言っていますが,すぐにでも変わるんじゃないかと思います.結局のところ,2年縛り,中途解約で違約金を高く取るという方法ならば,端末を通信会社から買う買わない関係なく,いままでと同じ商売ができるからです.

プロバイダやデータ通信では,1または2年縛りにすれば,割引のある契約ができるのが普通になっている以上,同じような契約形態がスマホに適用されない方が変だと思います.

さて,通信会社が土管化したら,通信機器メーカーはどうなるでしょうか.

今までのように,どこそこの通信会社向けに特化した企画物の端末,というのは無くなっていくでしょう.また,独立独歩で開発せねばならず,通信会社が買い上げてくれる保証もなくなるので,やっと,世界と競争できる端末作りに専念する「覚悟」が持てるようになるのではないかと思います.とはいっても,多くの日本企業は,敵前逃亡のように,既にスマホビジネスからほとんど撤退してしまいましたが...

まったく,情けない.いままで通信会社守られすぎてきて,全然競争力がないんですね.通信会社に頼らずとも端末を売り出し,SIMロックフリーで発売してしまう,Appleのように,ルールを変えてしまうようなメーカーは日本にはないのでしょうか.

そして,最後にユーザーはどうすればよいのか.

個人的にはSIMフリー端末を買って,好きなキャリアのSIMカードを挿して使いたいと思います.今だって端末代金は一括でしか購入したことないので,端末代が数万円するのは普通だと思っています.SIMフリーiPhoneを香港から個人輸入していたことを思えば,日本国内でiPhone 5sがあの値段で買えるなら,十分安いなと思います.

そもそも,端末代を一括で払っているのにSIMロックかけるのはおかしいです.少なくとも,2年縛りがなくなった時点で解除しなきゃおかしいですよ.

あとは,通信会社が端末持ち込みで,2年縛りありの割引契約を認めれば,全ては丸くおさまるのですが.

ちなみに,仮にこうなったとしたら,SIMロックは全く意味をなさなくなりますね.通信会社から購入するとSIMロックがかかって,メーカーから買えばかからない,端末代金はほとんど同じとなったら,誰もSIMロックのかかった端末なんか買わなくなるでしょうから.

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イプシロンロケット打ち上げ成功

無事打ち上げ成功してよかったですね.

台風が近づいてきていて,風とか大丈夫かと思いましたが,風速20m/s未満なら大丈夫なんだそうで,結構強風まで大丈夫なんだと思いました.

今日はニコ生で衛星分離までの中継を見ました.昔々,大学の研究室でH2の打ち上げを見ていた頃が懐かしかったです.

留学中はニコ生ではやぶさの帰還を見たりもして,ニコ動にはイベント毎に度々お世話になってます.

思うのは,やっぱり映像メディアのありかたは変わりつつあるんだろうなということです.映像の楽しみ方のスタイルが圧倒的に変わっている.最近のラジオもそうですが,やっぱり視聴者,聴取者同士で思いを共有し,横のつながりを意識しながらコンテンツを楽しむというのが,今風なんだと思います.

きっとこれからは,テレビも変わっていくんだろうと思います.

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ただ野心に突き動かされるような人

ユーザの共感を得ない企業というのは衰退すると思います.

典型なのは,今の民放テレビ局.視聴者のニーズを完全に無視して,芸能界の自己満足に徹したコンテンツを作り続けています.

視聴者は完全に蚊帳の外です.これだけソーシャルメディアが発達しているというのに,画面からこちらに話しかけてこようとする気概が一切感じられません.隣の家のパーティーを窓からのぞき込んでいる感じ.芸能人,まあ,最近はほとんどお笑い芸人しかいませんが,こんな人たちのくだらないコミュニケーションを横から眺めていても何も楽しいことはありません.

過去の栄光が忘れられず,放送局から視聴者に向けた一方通行,すなわち「ブロードキャスト」という古いコミュニケーション形態から脱却ができないんでしょう.もしくは,視聴者からの辛辣なフィードバックが恐ろしくて,とても直視できないのかもしれません.根本的には,メディア側の視聴者に対する高飛車な潜在意識が抜け切っていないことが問題だと思います.

こんな状況下で,テレビ局はよく存続しているものだと思います.まあ,それだけ盤石なスポンサーとの共存共栄関係がまだ残っているのでしょう.でも,これも結局内輪の関係で,視聴者は蚊帳の外ですよね.本当は,視聴者,番組,スポンサーの3角関係が成立しているべきなのに,今はその頂点の一個が無くなっています.スポンサーも,視聴者が離れていっていることを直視すれば,そんな番組のスポンサーになることは利益に結びつかないことがわかると思うんですけど...視聴者の立場からすれば,こんなくだらない番組にお金が回るなら,番組スポンサーの商品なんか買ってやるもんか,と,逆に思うんじゃないかと思います.

テレビ局の話から,ものを作る会社の話に移って考えると,これと等価なことは,ユーザーフィードバックをもらうってことになるのかもしれません.

まあ,これは最近はどこの会社でも普通にやっていることなので,劇的な状況の改善にはつながらないでしょう.かつては技術者の自己満足で,使いもしない機能てんこ盛りの商品を使ってユーザにそっぽを向かれるみたいなことがあったと思いますが,最近はどうでしょうか.フィードバックがあっても無視するとか,改善しないなんてことは,あり得ないですよね.

典型的な勘違いは,ユーザも気づかないような新しい価値を訴求すると意気込んで,結局ユーザがついてこない,という残念な例かもしれませんが,最近はさすがに市場に出す前にユーザ調査ぐらいはすると思うので,こういうのはあり得ないと思います.

あ,でもMicrosoftのサーフェスとかWindows8とかは,かなりユーザ無視,会社の自己満足の典型だな...docomoがiPhoneを導入しなかったのも,ユーザ無視の典型か...

...わかっていても,色々大人の事情があって,できないみたいですね.

で,なんだかんだ言ってみましたが,結局のところ,あまり既存のルールに縛られずに,頭を柔らかくして,自分が面白いとか,欲しいとか,そういう欲求に駆られるものを追求すればいいだけのことなんじゃないかと思います.逆に,こういう楽しいことを追求することに興味がない人,情熱がなくなってしまった人は,エンターテインメントとか研究開発とか,クリエイティビティが必要な仕事をするべきじゃないんだと思います.

テレビ局の没落は,結局のところ,高い給料やステータスだけに興味のあった人が大量に入社して,視聴者を楽しませることや,自分のこうなったら楽しいと思うことを実現させるような,ただ野心に突き動かされるような人がいなくなったことが問題なんじゃないかと思います.

報酬とは,気づかないままに到達しているべき結果であって,目的にすべきじゃないのにね.

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