規格

年末が迫ってきましたね。年賀状の準備は始めてますか?僕は恐らくクリスマスぐらいから一気に印刷を始めるんじゃないかなんて考えてます。

この時期になると毎年思うんですが、今年の干支、来年の干支って何でしたっけ?あと、2004年て元号で何年でしたっけ?

僕は元号を忘れたときには、いつも定期券の有効期限を見て思い出していたのですが、最近は西暦で書いているものもあるので、そのうち思い出す手段がなくなってしまうかもしれません。

そもそも、日本では何で2種類の年号をごちゃ混ぜに使っているのでしょうか。どっちかに統一すればいいのに。一枚の書類の中でも、項目によって元号だったり、西暦だったり混ざっていることがあります。

元号はどちらかというとお役所系書類によく使われますよね。それに、時々賞味期限とかでも。賞味期限が西暦の下2桁で書かれていると、月を表しているのか年を表しているのか分かりにくくて結構紛らわしいので、そんなときは元号の方がいいですね。

今の日本の社会では、どちらかというと西暦の方がデフォルトになりつつあるでしょうか。外国人にもわかりやすいので、いいかなと思いますけど、なんか日本独自の個性が失われるみたいでちょっと残念ですね。

単位系にしても、暦にしても、世界各国での情報のやりとりをスムーズにするという面においては統一することが非常に有用なことだと思うんですが、こういった類のグローバリゼーションとか規格っていうやつは、物事を均質化してしまうので、何かその国独自の個性や文化が失われてしまって物事をつまらなくしてしまう原因のような気がします。

あ、ちなみに今年は平成16年で申年でした。なので、来年は酉年ですよ。お忘れなく。

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誘惑

最近、NHKの深夜番組で、半分寝ながらつけっぱなしにして見ていた興味深いドキュメンタリーがありました。

半分寝ていたのでちょっと記憶が飛んでいるのですが、要約すると、それは超伝導の研究をしていたベル研のとある研究者が、データのねつ造をして論文を発表し、一時は最高の名声を得たのだが、ある時を境にその事実がばれ、当時のステータスは地に落ち、今ではとある田舎でひっそりと人目を忍んで生活している、という内容のものです。

超伝導研究の世界では、いかに高い温度で超伝導状態を実現できる物質を発見できるかが、もっぱらの研究目的になっているんですが、その研究者の場合は次々と有名科学雑誌に記録を更新する論文を載せていき、その名を世界にとどろかせていったのでした。

一方で、矢継ぎ早に目を見張るような成果を出し続けたので、追試を行っていた周囲の研究者の中には訝しく思っていた人もいたようです。そんなことがあり得るのだろうかと。

そして、最終的にはデータねつ造をしている事実がばれてしまったわけなんですが、どうしてばれてしまったのか想像できるでしょうか?きっかけはとっても単純なことだったのです。

とある2つの論文に載せてあった異なる実験に関するデータのグラフが、ノイズの揺らぎまで含めて、全く同一の形状をしていることが発見されたからでした。まあ、要するにグラフの図を使い回しをしていたということですね。

その後、調査委員会によるインタビューが行われ、様々なデータねつ造の事実が判明し、一時は、世紀の発見、ノーベル賞も時間の問題、と言われていたその研究者のキャリアは一気に崩壊してしまったのでした。

何でそうまでして自分の研究成果を出そうと思ったのでしょうかね。その番組では、業績の落ちていたベル研を代表する、数少ないスター研究者として周囲から異常なまでの期待と圧力がかけられていたから、とか、あまりにも研究分野が細分化し、詳しい内容まで内容を評価できる人間が少なくなってきていたために、自分の論文に責任を持つというモラルが欠けてしまったことを理由に挙げていました。

まあ、結局は本人の気持ちが、研究者としてのキャリアを手っ取り早くあげるという誘惑に負けてしまったからなんだと思います。僕なんかは、純粋な研究者でなく、半分エンジニアみたいな感じなので、そこまでしなくても、とか思ってしまいますけど、論文の数やその内容がもっぱらその研究者の評価につながる、学術研究の世界もそれなりに厳しい世界なんでしょうねぇ。

楽に人生を生きるなんてことは、そうそうないんだろうなと思いました。

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師走

さて、明日はいよいよ11月最終日、恐ろしや12月がもう目の前まで迫ってきています。今年も、イヤーな日が近づいてきましたねぇ。そう、クリスマスです。世の幸せな人々を横目に見ながら街を歩くのはホントにツライ!

いっそのこと酔って忘れてしまえーということで、ビール部に走るというのもありなのですが、「なんか安易だなぁ」と思います。ま、タイムリミットも近いことですし、どうとでもなれ状態ですが。。。

幼少期の、純粋な気持ちでクリスマスを楽しんでいた頃が懐かしいですね。クリスマスイブの夜にプレゼントを待つことや、冬休みがもうすぐ始まる喜びでなかなか夜寝つけなかったり、小学校の給食がケーキになることが嬉しかったり、とっても単純なことでとても興奮していました。

昔は、クリスマスに限らず、クリスマスから大晦日、正月にかけての年越しが毎年楽しみでしょうがなかったです。何かこう、いつもと違う雰囲気で家族団らんを過ごしている自分を思うだけで、嬉しくてしょうがなかったんです。まあ、今でも大晦日の夜とかは結構好きですけど、昔みたいな新鮮さはもうありません。いい加減何十回も繰り返してきていますからね。

さて、今年の年末は何をしようかなあ。。。

ふと、クリスマスの夜に教会を訪れるというのもありな気がしてきました。

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いい人に見える?

今日のお話は町中を歩いていればよくあることなのですが、あなたは声をかけられやすい人でしょうか?かけられにくい人でしょうか?客観的にはどうなのか分かりませんが、僕は自分では声をかけられやすいタイプだと思います。なんででしょうね。

最近はいい加減そういう自分の特性を自覚してしまっているので、相当強力な「声をかけるなオーラ」を出して歩いているのですが、それにもかかわらず、声をかけられます。

署名、募金、アンケート、お祈り、ビラ配り、展示即売会、エキストラ募集、道案内。。。渋谷の街なんかを歩いていると、ありとあらゆるジャンルの人に声をかけられます。僕の前を歩いている数人には見向きもしないのに、僕が通り過ぎようとすると声をかけてくるのです。そんなにだまされやすそうだったり、人がよさそうに見えるんですかね、私。

外国一人旅の習性で、町中で見知らぬ人に声をかけられても、無視することに慣れてしまって、最近は一切反応しないようにしているのですが、世界ではみんなが優しいと評判の日本人像を僕のようなふとどき者が汚してしまっても良いものかとふと考えてしまいます。まあ、道に迷った人のガイドぐらいはしてあげますけどね。

昔は悪い人になりきるのは結構抵抗がありましたけど、最近はどうってことなくなってしまいました。電話の勧誘だって、やたらなれなれしいセールス電話だったら何も言わず即切り、会社にかかってきたら一方的に話を切って即切り、やかましいギャル系の声が聞こえた瞬間に即切りです。

だって、向こうに先に切られたら気分悪いでしょう。なんか負けた気がして。確かにそれが先方の仕事なのかもしれませんけど、最初はやけに丁寧トークでも、どうせ最後は本性丸出しのガチャ切りなんですから、そんなのにいちいち応対するだけ時間の無駄です。

こうして、大人になると、色々と人格を使い分けられるようになっていくんだなぁと、ふと思ってしまいました。

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どらくえ

今日発売になったドラクエVIIIやってみました。

感想としては、ドラクエのよい点を引き継ぎながら、スクエニになったいい効果を受け入れたような、微妙な雰囲気が感じられます。完全3Dの世界で展開される冒険は、まさしく次世代版ドラクエという感じで、とても新鮮です。

アニメーションとインタラクティブな画面との境界が感じられないというのも、すごいですね。昔のFFとかだったら、インタラクティブなときはデフォルメ版、アニメーションになると急に8頭身でリアル版というように明らかにその境界がはっきりしていたのですが、PS2ではリアルタイム描画性能が高いからでしょうか、普通にリアルなキャラクターを操作できるので、すばらしいです。

あと、驚いたのはキャラクターの注視点制御がかなり細かく作りこまれているということ。時々魂がどっかに飛んでいったみたいなキャラもいますけど、基本的には自律したエージェントという感じで動いているので、素晴らしいなと思いました。

この感動的体験の度合は、スーファミでマリオをやったとき以来じゃないかと思います。さすがに、あのときほどの感動ではありませんが、それに次ぐという感じでしょうか。

世界の登場人物のキャラクターデザインはほとんどバードスタジオでやられているみたいで、なんか鳥山明のアニメをインタラクティブにした感じですね。

今のところストーリーとしては、ドラクエにありがちのような気がしますけど、結構楽しんでます。

こうして、また寝不足の日々が始まります。

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