本能に逆らう

僕は勝負ごとが好きではありません。

自分が勝てば、相手の事が気の毒になってしまい、自分が何か悪いことをしたかのような罪悪感にさいなまれるし、負けたら当然の事ながら悔しいからです。

そんな思いをするぐらいだったら、はじめから勝負をしない方がいいだろうと僕は思うのです。

思い起こせば中学、高校とかでは、試験の成績とかで、やたらと張り合ってくるクラスメートが必ずいました。何だか知らないけど、僕は何も言っていないのに、突然人の成績を聞き出し、勝っただの負けただのと話しかけてくるのです。

この傾向はやはり男子に多いものなのでしょうか。わかりやすい評価指標で自分以外の人間に勝負を挑み、凌駕しようとする気持ちはある意味、本能なのかもしれません。

自分が傷つきたくないから、勝負から逃げているとも言えなくもないですが、そもそも、勝負に勝ってもあまり嬉しくないし、他人との相対的な比較で自分自身の満足は得られないと僕は感じるので、やっぱり勝負というのは、できることならやりたくないなと思います。

だから例えば、今日はサッカーのアジア最終予選で日本が勝って嬉しかったですけど、その理由はバーレーンを打ち負かせたからというよりは、ジーコジャパンが一歩ワールドカップに近づいたからという感じです。

敵対心をむき出しにし、熱くなるというのは、動物が生きていく上での根本的な原動力だと思いますが、僕は、人間がこういう状態になっているのは全然格好いいとは思いません。

別に格好良さを追求しているわけではありませんけど、勝負をするぐらいなら、本気で戦う前に、一時的にでも自分のポリシーを捨てて、降参しちゃった方が無駄なエネルギーを使わなくて済むかなとさえ思います。

何となく、この辺はAB型の特性なのかなと、ふと思いました。

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このみのたいぷ

ふと以前の日記を眺めていたら、僕が犬派か猫派かというトピックの文章で、僕は猫のような女性が好きなのか、という話が書きかけになっていました。なので、今日はその続きを。。。

結論から言うと、基本的に僕は犬より猫の方が好きで、その理由を考えると、そのコンセプトは人間にも当てはまるかなと思うので、猫のような女性が好きなのだと思います。

端的に言えば、犬は飼い主に対して従順で一途(かなり八方美人な犬もいるけど)、疑うことを知らない。一方、猫は勝手気ままに生活していて、自分の都合のいいように世の中を渡り歩いていて、餌をもらえるときだけ飼い主に甘える、とそんなイメージがあります。

まあ、こんなイメージの下で猫のような女性が好き、と言っているわけです。

何がポイントかというと、どちらかがどちらかに依存していないと成り立たないような関係はイヤ、お互いはそれぞれ自分の世界を持っていて一人でも好きなように生活しているけど、きまった時間は必ずお互い一緒に過ごし、その時はベタベタするという感じがイイというわけです。

だから、猫みたいな女性とはいっても、別に、勝手気ままで自分が翻弄されてしまうような女性をあえて望んでいると言っているわけではありません。

例えば、片方がとても嫉妬深かったり、やきもちやきで、いつも相手の自分に対する愛情を確認できていなければ気がすまなかったりするような人であるがために、どちらかがどちらかにとって、負担に感じてしまうような関係はよろしくないと考えているので、互いに必要以上に干渉し合わないで、比較的さっぱりとした関係がいいということを言っているのです。

最近、「どんな女性が好み?」と聞かれたときには、大概この手の内容の返答をしているように思うので、これは結構僕の素直な気持ちだと思います。

P.S.

今日あたらしくマイミクに登録されたGreenさん、おめでとうございます!あなたが1000番目の訪問者でした。パチパチ!

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なまけものの夢

最近、年代の近い友人と話をすると、大体の人が現状に程度の差はあれ失望感を持ち、異動、転職、留学、など様々な道を模索していたりします。

これって、入社3年目ぐらいにありがちな現象なんですかね。一種の五月病みたいなもので、誰しもが一度は通る道だったりとか。。。

僕も、まあ、確かに今の毎晩12時過ぎに帰宅する生活はいかがなものかとは思います。ヨーロッパの国のどこかで就職できたら、もっと時間的にゆとりを持った生活ができるのではないかと思いますし。

しかし、ヴァカンス大国のフランスでは、法律で労働時間を短縮しすぎて、労働者から仕事にならないと不満が出ているそうで、あくせく働くのは人間の宿命なのでしょうか。

確かに、暇はありすぎると生活に張りがなくなって、持て余すということもあるんじゃないかと思います。特に、仕事が生き甲斐だったりする人はそうではないでしょうか。サラリーマンが定年後に家で何をしていいのか分からず途方に暮れるのはその典型例でしょう。

僕の場合はというと、現時点では仕事が趣味と一致しているので、幸せだと思っています。でも、気持ちの上では、仕事は自分の趣味を実現するための資金調達手段という位置づけなので、仕事がメインになるということはあり得ません。

お金が貯まれば、いい楽器や車を買って、新しい曲を練習したり、旅行に行きたいです。だから、暇はいくらあっても足りないぐらいで、逆に仕事が忙しすぎて暇が全くなくなってしまうのは、例えお金がたくさんあったとしても、非常に問題です。

時間を作るために、今の仕事を変えようとまでは思いませんが、できることなら、いつの日か、ヨーロッパの田舎でのんびりと生活できたらなぁと、夢見ています。

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シモキタの街

今日は、生まれて初めて下北沢の街を散策しました。

これだけ近くに住んでいて、平日は毎日通過しているにもかかわらず、全く足を踏み入れる機会がありませんでした。

下北沢の駅には北口と南口があって、駅を出るときに選択を迫られます。小田急線が地上を走っている関係で、北と南はかなり分断されており、街の雰囲気も結構違います。

南側は、古本屋、中古CD・DVDショップ、ドラッグストア、居酒屋、パチンコ屋、本屋、百均といった店が多く、どちらかというと世田谷の駅前ならどこにでもありそうな商店街の風景です。

一方、北側はどことなく裏原を思わせる、ちょっとばかりおしゃれな雰囲気をかもし出しています。店としてはアンティークショップ、雑貨系、洋服系、カフェといった店が多いです。

で、全体的に、中高生~大学生ぐらいの若者が圧倒的に多いです。そしてそれに混じり、時々地元の住人の方とおぼしき、お年寄りに遭遇するという感じです。この、えもいわれぬ年齢層のバランスも原宿を思わせる要素のようです。

雑貨屋で、食器とかを物色しているうちにかなり衝動買いをしそうになりながらも、部屋にはこれ以上ものを増やすまいと心に決めていたので、一生懸命耐えていました。そんな中でも、僕の今日一番のヒットは気化熱で動き続ける水飲み鳥、そして学生時代の授業で懐かしい分子模型セットです。

今日下北に来た本当の理由は、家から一番近い無印に本棚を買いに来ることだったのですが、店舗が小さく希望の商品が展示されていなかったので、ここで購入することは断念し、渋谷まで足をのばすことにしました。

渋谷にはパルコの中に無印が入っているので、外からは無印の存在を確認できず、意外と穴場です。結局、気に入った本棚が見つかり、持ち帰りで買って帰ってきました。パルコは駅から結構歩かなければならないので、配送にすればよかったのかと半分後悔し、腕がつりそうになりながら、混雑した渋谷の街を縫うように歩いていました。

で、つくづく僕はヤワな人間だなぁと思ってしまいました。「こんじゃ彼女のカバンを持ってヨーロッパの鉄道旅行なんて無理だなぁ」なんて、どうでもいい勝手な想像をしながら黙々と重い本棚の組み立てキットを運んでいたわけです。

でも、おかげで懸案だった床起き状態の本どもをきちんと整理できたので、よかったです。

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疲れたけど楽しかった一日

今日は予報通り、一日中体から楽器が離れない生活でした。

朝の9時頃から夕方4時半ぐらいまでお昼以外ぶっ通しで楽器を演奏し続けるというのはかなり久々です。なんか、大学時代のオケ合宿を思い出しました。さすがに疲れましたが、充実していたと思います。

音楽をやるのが好きで、モチベーションの高い人々がこれだけ集まって、一つの曲を作り上げるというのはやっぱりオーケストラの醍醐味ですね。

大学時代は、オーケストラって色々と周囲に合わせなければならないので、自分の自由に弾けないし、とても窮屈なものだと思っていました。でも、それは自分が逆に正確に演奏するということができなかったからそう思っていたのであって、ポイントを押さえれば、かなり自分の表現ができるものなのだと最近は分かってきました。

もちろんオーケストラばかりでもダメで、正確な音程とか、基礎的な奏法とか、本当に真面目に楽器を演奏しようと思うのならば、ソロの曲を練習するべきだとは思います。でも、休符をきちんと数えるとか、楽譜上の細かな指定に忠実に演奏するとか、ソロで演奏しているときにはあまり気にしてこなかった音楽のもう一つの側面がオーケストラにはあるので、やってみるのは、とてもよい経験になると思います。

6月4日の午後、すみだトリフォニーホールで演奏会をやります。モーツァルトとドボルザークとブラームス。どれも聴きやすい曲なので、是非聞きに来てください。

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