あたらしい憲法のはなし

最近、堅苦しい話ばかり掲載していますが、ここ数日の一連の流れで若干気になったので、現在の憲法のデビュー当時の日本国民の意識とはどういうものであったのか、この憲法を作った人達のメンタリティーとはどういうものであったのかを垣間見ようと思い、「あたらしい憲法のはなし」を読み返してみました。青空文庫の中にありますので、簡単に探すことが出来ます。

知らない人はいないと思いますが、「あたらしい憲法のはなし」とは、終戦後に短期間使用された、新制中学校1年生の社会科の教科書として発行された文章で、日本国憲法の精神や中身を易しく解説しているものです。

ここでは、私の心に印象を残したフレーズをいくつか取り上げ、どういう印象を抱いたかを記しておこうと思います。

●基本的人権

「みなさんは日本国民のうちのひとりです。国民のひとりひとりが、かしこくなり、強くならなければ、国民ぜんたいがかしこく、また、強くなれません。国の力のもとは、ひとりひとりの国民にあります。そこで国は、この国民のとりひとりの力をはっきりとみとめて、しっかりと守ってゆくのです。」

このフレーズからは、下記のメッセージが読み取れます。国民に与えられた基本的人権と引き替えに、国民に求められた義務があるということです。すなわち、国は強いものでなくてはならない、そのために国民一人一人が、かしこく、強くならなくてはならないということです。

しかし、現代日本にあって、国力を強くするために勉学に励む、というメンタリティーを持った若者はどれほどいるでしょうか。むしろ、自分の将来の仕事の選択肢の幅を広げるため、とか、より安定した職を得るため、とか、より収入の多い職に就くため、といった、かなり矮小化された視点で勉学に励んでいる人が多数のように思います。まあ、これが結果として国力に貢献することになればいい、という考え方もあるかもしれませんが。

しかし、今回「あたらしい憲法のはなし」を読んで感じたことの一つとして、個人主義的な考え方はどこにも書いてないということに、若干驚きを覚えました。基本的人権の尊重は繰り返し語られていますが、それはいずれも、ひとつにまとまった国家を作るための要素としての位置づけであって、むしろ、自分勝手な行動を取ることを戒める文言が多く記されているのです。

そう考えると、個人主義や競争的社会が強調された現代日本は、本来の憲法の理想とは乖離した社会になりつつあるのかな、という印象を抱かずにはいられませんでした。

●日本国民がつくった、日本国民の憲法

「これまであった憲法は、明治二十二年にできたもので、これは明治天皇がおつくりになって、国民にあたえられたものです。しかし、こんどのあたらしい憲法は、日本国民がじぶんでつくったもので、日本国民のぜんたいの意見で、自由につくられたものであります。」

民主主義社会が当たり前の社会に生活していると、明治時代の憲法が天皇によって作られたということに、カルチャーショックを覚えました。まあ、ヨーロッパでも王様が国を治めるということはこういうことだと思いますが、一人の人間(少なくとも生物学的に言って)の能力に頼って、国のルールを作るなんて、相当優秀な人じゃなきゃできないよなぁと思いました。もちろん、明治天皇をサポートする人が多くいたのだと思いますが。

●代表制民主主義と直接民主主義

「あたらしい憲法は、代表制民主主義と直接民主主義と、二つのやりかたで国を治めてゆくことにしていますが、代表制民主主義のやりかたのほうが、おもになっていて、直接民主主義のやりかたは、いちばん大事なことにかぎられているのです。だからこんどの憲法は、だいたい代表制民主主義のやりかたになっているといってもよいのです。」

代表制民主主義のフィロソフィーは、日本の政治に対して、私がいつももどかしいと思っている原点です。スイスの場合は、レファレンダムと言って、重要な事案は全て国民投票によって直接的に国民の意見によって決定できるのに、代表制民主主義だと、衆議院選挙でしか国民の意志を表明できないからです。

国の代表である総理大臣も、勝手に多数政党から決められてしまうので、必ずしも能力的に適していない人が首相になってしまうことが多いように思います。地方公共団体の長の方が、リーダーシップを持って仕事をしているように感じることを思うと、もう少し直接民主主義的な考え方にウェイトを置いてもいいのではないかと思います。

●選挙権と年齢

「みなさんは日本国民のひとりです。しかしまだこどもです。国のことは、みなさんが二十歳になって、はじめてきめてゆくことができるのです。国会の議員をえらぶのも、国のことについて投票するのも、みなさんが二十歳になって、はじめてできることです。みなさんのおにいさんや、おねえさんには、二十歳以上の方もおいででしょう。そのおにいさんやおねえさんが、選挙の投票にゆかれるのをみて、みなさんはどんな気がしましたか。いまのうちに、よく勉強して、国を治めることや憲法のことなどを、よく知っておいてください。もうすぐみなさんも、おにいさんやおねえさんといっしょに、国のことを、じぶんできめてゆくことができるのです。みなさんの考えとはたらきで国が治まってゆくのです。みんながなかよく、じぶんで、じぶんの国のことをやってゆくくらい、たのしいことはありません。これが民主主義というものです。」

政治に参加することを「たのしい」と表現しているこの文章に触れて、当時の人は選挙を通じて政治に参加することに対して希望を持ち、夢を描いていたのだなぁという感覚を覚えました。そして、子供が年長の人に対して、ある種尊敬のような感情を持って見る気持ち、一方、年長の人が年下の子供に対して、手本とならなければならないと自分の行動を省みる気持ちというのは、今も生きているだろうかと思いました。「自分もいつかは選挙に行って、国の発展に貢献するぞ」という気持ちを抱いて勉学に励んでいる子供達は、今の時代、どれだけいるのだろうかと思いました。

発展しきって、目標を見失った国家には似つかわしくないメンタリティーですが、こういう気持ちがないと、国のエネルギーは失われる一方だと思います。

●国際平和主義

「じぶんの国のことばかり考え、じぶんの国のためばかりを考えて、ほかの国の立場を考えないでは、世界中の国が、なかよくしていくことはできません。世界中の国が、いくさをしないで、なかよくやってゆくことを、国際平和主義といいます。だから民主主義ということは、この国際平和主義と、たいへんふかい関係があるのです。こんどの憲法で、民主主義のやりかたをきめたからには、またほかの国にたいしても、国際平和主義でやってゆくということになるのは、あたりまえであります。」

この、国際平和主義という考え方は、他の国の立場を考えるということですから、民主主義以外の考え方も受け入れることも含むでしょう。だとしたら、ある政党が一党独裁している国家や、特定の人間が独裁する国家のあり方というものも認め、仲良くやっていきましょうということでしょう。まあ、現在でも民主主義の方法をとらない国家も多数世界にあることを考えると、この思想はうまく機能していると言えます。

しかし問題は、時に相手が同じように国際平和主義の考え方を尊重しているとは限らないということです。過去の歴史で繰り返されてきたように、少なからず軍事力にものをいわせて、自らの主張を押し通そうという行動(侵攻)が起きてしまうということです。こういう行動が自らの国に直接及んだ場合にどう対処すべきなのか、また第三国にそのような被害が及んだときに、日本はどう行動すべきなのか、看過していいのか、これらのことに関しては、憲法は何も言及していません。これは、ある種欠陥だと思います。

●主権在民主義

「みなさんは、日本国民のひとりです。主権をもっている日本国民のひとりです。しかし、主権は日本国民ぜんたいにあるのです。ひとりひとりが、べつべつにもっているのではありません。ひとりひとりが、みなじぶんがいちばんえらいと思って、勝手なことをしてもよいということでは、けっしてありません。それは民主主義にあわないことになります。みなさんは、主権をもっている日本国民のひとりであるということに、ほこりをもつとともに、責任を感じなければなりません。よいこどもであるとともに、よい国民でなければなりません。」

「日本国民であることにほこりをもつ」、「日本国民であることに責任を感じる」さて、現代の日本人はどれだけこの思想を受け継いでいるでしょうか。経済活動の数字ばかりが優先される現代の格差社会にあって、どれだけの日本人が自らの欲望を抑制し、勝手な行動を慎んでいると言えるでしょうか。もちろん、法律に定められた範囲内に行動をおさめ、秩序を守って行動していると思いますが、「よいこどもであるとともに、よい国民でなければなりません。」の表現からは、法律を遵守する以上のモラルが求められているように感じます。

社会の仕組みを改善し、日本人がもういちど元々の憲法の思想に歩み寄る必要があるのか、そもそも憲法の思想が日本の現代社会にそぐわなくなっているのか、理想と現実のギャップを照らし合わせて、何かしらの手を打たなくてはいけないのではないかと思います。

●戦争の放棄

「みなさんの中には、今度の戦争に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとうとうおかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戦争はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろ考えましたが、またこんな大戦争をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。

そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは、「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。

もう一つは、よその国と争いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの国をほろぼすようなはめになるからです。また、戦争とまでゆかずとも、国の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戦争の放棄というのです。そうしてよその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆけるのです。
みなさん、あのおそろしい戦争が、二度と起こらないように、また戦争を二度とおこさないようにいたしましょう。 」

繰り返しになりますが、これには言及されていないことがあるのです。RPGで言えば、武器と防具のことです。

「武器は捨てます。武器を使って威嚇し、力に任せて意見を通すのはよくないことです。」

「わかりました。では、防具はどうしますか?防具なしで攻撃されたら、かなりHPが減ると思いますが。」

「・・・(丸腰の国を攻撃するなんて悪いことをする人はいないと思うんだけどなぁ)」

というのが、現在の憲法です。

「フルボッコされている友人がいますけど、見て見ぬ振りしますか?」

という疑問にも答えていないのが、現代の憲法です。

●国会

「みなさん、国会の議事堂をごぞんじですか。あの白いうつくしい建物に、日の光がさしているのをごらんなさい。あれは日本国民の力をあらわすところです。主権をもっている日本国民が国を治めてゆくところです。」

「日本国民の力」個人的には、強くなって欲しいと思っています。でも、別に強くなくても、美味しい食事をして、よく眠り、適度に仕事をし、家族とともに毎日を平穏に生きていければ、別に強くなくてもいいんじゃないかなぁ、と思ったりするのです。あまりにも、現代っ子的、へたれな考え方でしょうか?

●政党

「日本には、この政党というものについて、まちがった考えがありました。それは、政党というものは、なんだか、国の中で、じぶんの意見をいいはっているいけないものだというような見方です。これはたいへんなまちがいです。民主主義のやりかたは、国の仕事について、国民が、おゝいに意見をはなしあってきめなければならないのですから、政党が争うのは、けっしてけんかではありません。民主主義でやれば、かならず政党というものができるのです。また、政党がいるのです。政党はいくつあってもよいのです。政党の数だけ、国民の意見が、大きく分かれてると思えばよいのです。ドイツやイタリアでは、政党をむりに一つにまとめてしまい、また日本でも、政党をやめてしまったことがありました。その結果はどうなりましたか。国民の意見が自由にきかれなくなって、個人の権利がふみにじられ、とうとうおそろしい戦争をはじめるようになったではありませんか。」

確かに、ファシズムが戦争につながったたことは否定しませんが、この表現、ちょっと現代には合いませんね。共産党の一党独裁国家とも仲良くやっていかねばならないし、そういう国のあり方もあることを実際に国の繁栄によって示されていることを考えると、民主主義が唯一の考え方でないことを認めなければいけないはずです。そして、それが国際平和主義の考え方にも適うのです。この辺の表現は、少しアメリカ寄りな気がします。日本人が実際どう考えるのか、国民に問わねばならないでしょう。

●地方自治

「みなさん、国を愛し国につくすように、じぶんの住んでいる地方を愛し、自分の地方のためにつくしましょう。地方のさかえは国のさかえと思ってください。」

地方が疲弊し、過疎化している現実を考えると、国の歩みはまさにこの思想に逆行してきたことになります。地方への税の還元を無駄な公共投資ととらえるか、「地方のさかえは国のさかえ」と考えるか、財政状況の厳しい国の状況も鑑み、非常に難しい国の運営が必要とされています。個人的には、地方が潤った方が家族のつながりが生まれ、出生率も上がり、文化も保護され、最終的には国の繁栄につながるのではないかと思っているのですが。。。実際は、現代の出生率は都市の方が上なんですよね。

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日米安全保障

昨日のブログで、日米安保によらない日本の国防を考えたとき、日本は極東の安全には責任を持てるか分からないけど、自国は完璧に守ります的な立場を取ればいい、というようなことを書きました。しかし、こういう自己中心的な考え方では、経済大国の日本として、国際社会では認められないだろうなと思います。いくら平和を愛する国家だとはいっても、やはり、世界の安全に責任のある立場を表明し、実行しなければいけないように思います。

しかし、その一方で、極東の有事があったときに、日本の自衛隊+αみたいな組織がしゃしゃり出ても、日本の軍隊に対してアレルギーのある東アジアではきっと過去の戦争を想起させるだけで、単なる内政干渉だと非難されるだろうし、あまり、ありがたがられないと思います。

というわけで、日米安全保障条約を今後も維持するなら、アメリカの兵力に日本軍事的抑止力の代弁者、実行部隊として肩代わりしてもらい、その後方支援をするという立場を今後とも続け、一応世界平和の責任の一翼を担っているという「パフォーマンス」をしなければいけないだろうと思います。

その一方で、アメリから自立したいと言うなら、スイスみたいに永世中立というのが現実的なのかなと思います。周辺の国々が勝手に争うのはご自由に、でもどさくさに紛れて自国に火の粉を飛ばしたり、自国の領土に手をかけたら徹底抗戦します、という立場です。

今だって、アフガニスタンでアルカイダ組織の掃討作戦が実行され、いわゆる戦争をしていても、戦っているのはアメリカとNATOで、日本は全然関与していません。アメリカが関わる戦争は、地域の秩序安定を名目に、大概アメリカの論理で世界を巻き込み、勝手に争っていることが多いので、日本が関与しないのは正解だと思います。実際には、日本は別にある信念があって関係を絶っているわけではないところが問題だと思いますが。。。まあ、背景はともかく、日米安全保障条約によらない日本の東アジアにおける立場とは、自国の国益に関係のない争いには関わらない、そういう自己中心的、ハリネズミ的な態度で平和の理想を掲げる国をつくるということです。

その延長線上で、沖縄にアメリカ海兵隊の基地は要らないし、アメリカがどうしても東アジアの安定に貢献したいというのなら、グアム辺りから遠路はるばる日本海、東シナ海までやって来てください、もしくはアメリカとの強固な軍事同盟を望んでいる韓国との関係を深めて、韓国にでも基地を移設してください(暴論ですが)。という話になると思います。

さて、荒い論理ですが、以上のように、日本のあり方として、日米安保の延長線上で普天間基地の問題を考える立場、日米安保を前提としない新しい秩序のあり方を模索する立場から普天間基地の移設問題を考える立場、2つの立場があるのではないかと書きました。これは、どちらが正解というわけではなく、両方の立場があってしかるべきで、別に戦後65年の歴史をこれからも踏襲する必要が必ずしもあるわけではなく、新しい日米関係のあり方を模索するきっかけとして、議論を深めるべき問題なのだと思います。

そして、民主党が昨年公約に掲げた普天間基地移設に関わる提言とは、本来、上記の後者のような立場から議論を深めるための、対立軸だったのではないかと思います。

今日ご紹介するのは、8月2日にあった衆議院予算委員会での石破議員の質問に対する、菅首相の答弁の動画です。石破議員はご存じの通り防衛庁長官、防衛大臣も務めた国防に関するきっての論客です。石破議員の主張はもちろん、日米安保の延長線上としての、日本のアメリカ軍との関係のあり方を説いています。ですから、民主党を代表する菅首相としては、その対立軸として議論を展開しなければいけなかったはずなのですが。。。

さて、どうなっているかは、見ていただければ分かりますが、鳩山前首相時代の空想論、理想論より更に後退して、全く思想がない、知識がない、論理がない、何を言っているか分からない、自分でもきっと何を言っているか理解してない、というとんでもない状況に陥っていることが分かります。

こんな人が日本の国防の最高責任者だとしたら、国防に関わる日本の政治、軍事のシステムは、そもそもの設計を間違っているとしか考えられません。首相は多方面にわたって知識を深める必要があるので、勉強しないといけず、大変だとは思いますが、なんか自信がなさそうで頼りないし、人間性が国のリーダーとして適していないんじゃないかなぁと思ってしまいます。

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英語公用語化について

先日、楽天の決算発表があり、社長が英語でプレゼンテーションしたことがニュースになっていましたね。あまり品の良くないニュースソースですが、日刊ゲンダイが如実にその実情をリポートしています。

確かに、日本の会社で英語を強制したら間違いなくこうなる(誰も言葉を発しなくなる)だろうと思います。会社に入るまでほとんど英語を話す機会が与えられてこなかったにも関わらず、突然英語を強制されたところで話せるわけがないからです。

確かに、日本国内で英語だけを使う環境というのは、ちょっと無理があるような気がします。周囲にいる人間の半分ぐらいが日本人以外の人間ならば、英語を使う雰囲気になるでしょうが、周りに日本人しかいないのに英語を話すというのは、かなり違和感があります。地方から来た人に唐突に、方言で話してみて、と言ってもぎこちなくなってしまうのに、同郷の人と会うと急に方言で話し出すようになるのと同じようなものです。

しかしそうは言っても、日本人が英語を話せないのは話す機会が圧倒的に不足しているからであって、その不足を補うためならば、日本人同士でも英語を話すべきだ、という気持ちに私は賛同します。

「日本人同士なのに、英語を話すなんて」と、この記事には、記者の気持ちを吐露したのであろう文面が読み取れますが、この記者は英語があまり得意でなくて、日本人なら英語なんか話せなくてもいい、と思っているのかなと思います。

しかしです、世界の人口のたった2%の日本人が、いくら日本語で頑張ったところで、世界とコミュニケーションが出来なくなるだけで、所詮、世界から取り残されて終わるだけではないでしょうか。ただでさえ引っ込み思案の日本人だというのに、英語が話せないが故に誤解されたり、実力以下に見られたり、交渉ごとにおいて劣勢に立たされる、ということはあってはならないと思います。英語公用語化とは、英語かぶれとか、英語フリークとか、語学マニアとか、そういう問題ではなくて、自己防衛の手段なのです。

最近も、トヨタ車のリコール騒動がアメリカでありました。この時、トヨタ社長は通訳を引き連れて、アメリカの公聴会に乗り込み、平身低頭、日本流の誠心誠意を伝えるという姿勢で何とかやり過ごしましたが、自らの主張をディフェンドするのが普通の欧米のコミュニティにあって、あまりにも情けない姿でした。大半のクレームはドライバーがアクセルとブレーキを間違えるという運転ミスであったというのに、NHTSAにはそれらの情報は隠蔽され、一方的にトヨタが悪いかのように情報操作をされていたのです。

一方で、日本では最近iPod nanoの初代機が明らかにバッテリの不具合で、発火事故を起こしているにも関わらず、Appleが自らの責任を認めず、リコールもせず、大々的に報告もせず、ユーザから依頼のあった場合にのみ、コソコソとバッテリ(恐らく本体丸ごと)の交換に応じて来たという姿勢が問題になっています。アメリカだったら、訴訟費用目当ての弁護士も巻き込み、最近ホットなiPhone 4のアンテナ問題並に、ユーザらが徒党を組んで大クレームの嵐になってもいいだろうに、日本のカスタマーは本当に大人しいと思います。

ソニーが以前、同様の問題でノートパソコンのバッテリを世界中で大々的にリコールしたことも記憶に新しいでしょう。iPod nanoは、バッテリもnanoだから問題ないとでも考えているのでしょうか。それとも、Appleは日本人なら事なかれ主義で大人しいから、勝手に泣き寝入りするとでも思って、なめてかかっているのでしょうか。

日本の政治家にしても、サミットなどの場で海外の首脳とうまくコミュニケーションできず、記念撮影などの場で取り残されるという事例も、過去一部の首相は例外として、繰り返されてきました。

普天間基地の問題にしても、「国民の負担が多くなってもいいから、自衛隊を増強し、(アメリカみたいに世界の警察を標榜するほど日本はおこがましい国じゃないから)極東の安全にまで責任を持てるかどうかわからないけど、自国に関してはとりあえず日本が責任を持って守るから、アメリカは引っ込んでいなさい」と明確に主張すれば、アメリカもよしわかった、そこまで言うならやってみろ、という話になるだろうに、「平和が好きだから軍事力は持ちません、自立したいからアメリカ海兵隊も要りません、だけど中国や北朝鮮の軍事的脅威は怖いかも」なんて平和ボケの訳の分からないことを言うから、アメリカの信頼を失う(日本の政治家がアメリカ議会になめられる)のです。まあ、これは英語の問題ではなくて、どちらかというと、もっと根本的に、論理的思考の問題ですが。

このような事例を鑑みると、日本人のメンタリティーの問題もありますが、英語が話せないこととかなりリンクしているであろう、対外的なコミュニケーションに自信を持てないという事実が原因となって、日本人の立場が弱くなるという事例が多いように感じます。だから、いざという時に的確な意思表明、主張をできるように、英語で会話するトレーニングを普段からしておくことが必要なのです。

もちろん例外もありますが、欧米人は大概、明確な言葉で表現し、伝えないと分からない人達です。何も言わないでいると、不思議、不気味、怪しい、危険、という感覚で見られるようになります。奇異な目で見られたいなら別ですが、普段は自分の思っていること、感じていることをどんどん表現し続けた方が、彼らは安心します。How are you?で始まるコミュニケーションが彼らの日常なのです。

こう考えると、英語を知識として知っていても、メンタリティーが自己主張の少ない日本人のままだと、あまり英語を知っていることに意味はないかもしれません。ただ、英語恐怖症であるが故に引っ込み思案になるよりは、まだマシだと思います。また、少なくとも英語でネイティブと話していると、自然と明確な表現をするようになると思います。英語は、どちらかというと論理的思考をした結果を表現しやすく、曖昧な表現がしにくい言語ですし、そもそも彼らは曖昧な表現を理解しないからです。

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まだまだ帰国手続き

何となく連絡しなきゃいけないかなと思っていたけれど、まあ期限が来れば契約が切れるかと思っていた保険、やはりちゃんと書面で連絡しないと勝手に継続契約になってしまうようです。

こちらに来てからそろそろ1年になるので、健康保険の継続伺いが来ました。次回分の保険証と、振込用紙が送付され、8月31日までに書面で連絡すれば解約できますよ、だって。なんとまあ、勝手に契約更新してしまうとは驚きです。

ちなみに、スイスの健康保険は強制加入で学生向けの保険でも1年で約8万円します。普通なら月々3、4万円ぐらいでしょうか。解約を忘れたら大変な損害です。

保険と言えば、もう一つ家の損害保険にも入っていることを思い出しました。こちらは年間6千円ぐらいなので非常に安いのですが、ついでに継続契約しない意思表示の書面を送付しておこうと思います。

来週はいよいよ引越の見積もり。これが終われば、もうほとんど手続きは終わったようなものです。あとは要らない家財道具の処分です。ちなみに、炊飯器は研究室にいる日本フリークにあげることになっています。

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プロヴァンスへの旅

金曜日+週末の3日間で南フランス、プロヴァンス地方へ旅行に行ってきました。具体的な街の名前は、アヴィニョン、アルル、マルセイユです。2泊はいずれもアヴィニョンのホテルに滞在し、初日にアルルへ、2日目にマルセイユに行ってきました。とりあえず、トピック抄を下記に記します。

アルバムはこちら

1日目:ジュネーブ、リヨン経由、アヴィニョンにTGVで到着。アヴィニョンTGV駅から、アヴィニョンサントル駅はバスで10分ほどかかる位置にある。新横浜みたいなもの。日差しが非常に強いが、風も強く、風はヒンヤリと冷たい。これぞミストラル。植生はまさに乾燥地帯という感じ、建築は全てがオレンジ、まるでイタリアかアフリカ。スイスとは風景が全く違う。

1.2ユーロ払ってバスでアヴィニョンの市街地に到着。城壁が印象的な街。アヴィニョンサントル駅で時刻表チェック、そのままアルルに行くことにする。出発まで5分もなかったのに、ホームが駅舎の外のはずれた場所にあり、危うく乗れなくなるところだった。駅員さんに場所を聞いて教えてもらう。フランスのおじさんの駅員は何となく厳ついイメージ。田舎だから、国鉄の権威が今も昔の様に残っているのか。昔、日本でも国鉄時代の駅員は、JR時代よりはるかに偉そうな雰囲気だった気がする。

急行電車で次の駅が終点アルル。所用時間約20分。アルル駅前は何もない。ガイドブックの教え通り、川に出て河岸沿いにアルル中心街へ向かう。途中、昔は橋だったと思われる遺跡発見。修復せず、完全に壊してしまうこともなく残しているのが面白い。対岸にも同様の構造物がある。

更に歩くと、公園に小さな馬がいた。ポニーっていうのだろうか。なかなかかわいい。アルルの街は、やはりイタリアか、アフリカか、という感じ。ものすごくエキゾチック。パリのある同じフランスとは思えない。南ヨーロッパってこんな感じなのね。同じ南でも、ニースやモナコとも違うんだよなぁ。

円形闘技場が見えてきた。ローマの闘技場を更に小さくして破壊したらこうなりそうな感じ。古代遺跡が街の中に普通に溶け込んでいて、不思議な光景。昼食は闘技場近くのレストランで、ビールと共に魚介の串焼きを食べる。今回の旅で一番おいしかった食事。

食事後、屋外劇場の遺跡に向かう。ここで、地図案内を求められた女子3人組にスリに遭い、帰りのTGVのチケットを失う。南ヨーロッパに来ているのを忘れていた+ビールでほろ酔いだった+調子に乗ってフランス語で説明していた、色々な要因により、典型的なスリに引っかかった。猛烈に反省。しかし、ご丁寧に封筒に入ったTGVのチケットだけ持って行かれた。せっかく帰りは1等だったのに。

そのまま、しばらく歩き回り、暑いのでアヴィニョンに戻ることにする。途中、公園でペタンクに興じるおじさん達を眺める。見た感じ、氷の上でやるカーリングを砲丸でやってみました的なゲームのようである。

帰りの時刻表には、直近の発車はバスになっていたので、バスで帰ることにする。国鉄バスみたいなものか、同じ切符で電車にもバスにも乗れる。しかし、これが失敗、電車ならたった20分のところが1時間ぐらいかかった。途中アヴィニョンTGV駅にも停車し、明らかに遠回りして帰ったことが判明。他の乗客はアヴィニョンTGV駅で下車、私だけサントルまで連れて行ってもらうことに。

ちなみに、バスの運転手はトラッドヘアの黒人でバスはアフリカの音楽がずっと流れていたのが印象的。日本でも南に行くと、路線バスでラジオ放送を流していたりするけれど、そんなものなのか。

アヴィニョンは、演劇祭の真っ最中。7月いっぱいで終わりなので、最後の週末ということ。メインストリートは歩行者天国状態になっていて、ものすごい人通り。途中ツーリストインフォメーションに立ち寄り、ホテルに直行。チェックイン。今回泊まるホテルは2つ星の安いお宿。一応1泊70ユーロぐらい。裏通りだけれど、街の中心にあって便利。部屋にはロフトがあって、ベッドがあった。けれどロフトは暑いので、使わなかった。

夕食までアヴィニョンの街歩き。法王庁、アヴィニョン橋など眺める。この辺は、ヨーロッパの街どこ行ってもこんな感じなので、まあ、そうだよね、という感じで納得。夕食は、Soup de PoissonとFruit de Merを頼む。夏に生の魚介大丈夫かいなと思いつつ、いただく。まあ、美味しかった。お腹も大丈夫だった。ムール貝の生はかなり苦手だった。ていうか、ムール貝は冬に食べ過ぎて、むしろ嫌いになった気がする。

白ワインでほろ酔いになり、またスリにあっても困るし、疲れたのでホテルへ直行。テレビを眺めつつ、フランスのテレビ局はどぎつい描写のドラマを放映するなと思いつつ、うたた寝。シャワーを浴びて就寝。

2日目:今日はマルセイユに行くことを決めていたので、駅に直行。そしたら、マルセイユ行きの次の発車は、またバスであることが判明。時間がかかるような気がしたけれど、電車は1時間以上先なので、バスで行くことにする。今度は高速なんかを使いつつ、約100分で到着。結構遠かった。

マルセイユは、アヴィニョンより更に混沌としている。港町なんてこんなものなのか。あまりにも街が荒んでいるし、民族もごちゃごちゃという感じ。さらにアフリカに近い。街は大きく、裏通りはあまり印象がよろしくなく、早く抜け出したい感じになる。ここは観光の街ではないと思い、直ちにイフ島に渡ることにした。港から船で約20分。非常に小さい、要塞の島。監獄として使われていたらしい。

城の中は、まるでRPGに出てきそうな造り。井戸が真ん中に鎮座しているのが面白い。全ての部屋は牢屋のレイアウト。宮崎駿のアニメに出てくる牢屋はこんな感じだと思う。パズーがムスカに閉じ込められていたのはこんな部屋だったような、と思い出す。城からのマルセイユの眺めは最高。海がとても綺麗なのが印象的。しかし、暑かった。喫茶店でカフェをいただき、人が船着き場に戻っていくのを見計らって、移動。

しかし、帰りの船、1便目は満員で乗船できず、さらに40分以上待ちぼうけになった。かなりの人が島に取り残されたが、静かで、風景がいいので、のんびりできた。ようやく、人を別の島に送り届けた船が戻ってきた。船員さんがマルセイユ直行です、他の島には行きませんと言って案内していた。

マルセイユの街はあまり面白くないので、そのまま地下鉄で駅に向かい、帰ることにした。時刻表通りの時間に戻ってきたけど、電光掲示板には全然出発時刻が書いていない。駅員さんに聞いたら、線路工事をしているため、ダイヤが変更になっているのだそう。さらに1時間近く待つ羽目になった。

お腹が空いたので駅構内のマックに行ってみることにした。スイスのマックは美味しかったので、フランスも美味しいかと思ったら、日本と同じ味だった。スイスのマックは全てスイス産の原材料を使っているから特別美味しかったのだろう(高いけど)。ちなみに、会計の時、間違えてスイスフラン紙幣を出したら、よほど珍しかったらしく、店員さんが丸い目をして、何じゃこりゃ、スイス?と言っていた(フランス語で)。

時間まで駅構内をぶらぶらして、電車に乗る。バスで来たときは100分だったけど、帰りは150分ぐらいかかったと思う。バスで帰ればよかった。

夕食は、来たときからちょっと気になっていたレストランで肉食系の食事をすることにした。ツナサラダ、牛肉のステーキ、ベリーとクリームのデザートでもうお腹いっぱい。どの店も量が多く、この旅行ではちょっと食べ過ぎになった。

3日目:今日は外で朝食を食べることにした。8ユーロの朝食セット。パンとコーヒーとオレンジジュースがセットになっている。法王庁の前のカフェでいただく。ほとんど人はいなかった。そのまま、近くの公園に向かう。池に鴨が群れをなして泳いでいた。雛もいてピヨピヨと鳴いていた。

最終日なので、お土産を買いに行くことにする。アヴィニョン橋に向かう途中の土産物屋に直感で入る。蝉の陶器の小物が名物らしい。どこにでも売っている。確かに蝉の鳴き声も聞こえる。しかし、魅力的でないので、別のものを購入。ラベンダーが中に入ったクマとか、羊っぽい人形とかを購入。

そのまま駅に向かい、帰りの電車の時刻をチェック。予約した列車の時間まで6時間ぐらいあるので、TGVのチケットを払い戻して、在来線の急行で乗換駅のリヨンまで戻ることにする。TGVから在来線に格下げしたら、料金が戻ってくるかと思ったら、さらに5ユーロ払う羽目になった。今回は、列車のチケット関係でトラブル続きだった。

さらに、列車は遅れるとのこと。窓口では15分遅れと言われ、ホームでは30分遅れと表示され、結局出発したのは50分遅れだった。途中で、発車ホームも変更になった。とんでもなくルーズなフランス国鉄。スイスのダイヤ感覚に慣れるとついていけない。

急行列車で180分の旅。のんびりと風景を眺めながら長距離列車に乗るのは楽しい。この列車はどうやらマルセイユからアヴィニョンを経由してリヨンに向かっているらしい。途中、原発らしき建物を多く目にした。さすがフランス。

リヨンにつく頃には曇り空。少し雨も降り出していた。日曜日の夕方ということで、駅構内は帰りの電車を待つ人々であふれていた。次のTGVまで2時間ぐらいあるので、街に行くことにする。リヨンのメインの駅は街の中心から少し離れている。そのため、トラムに乗って15分ぐらい移動した。

街は、全て店が閉まっていて、雨も降っていて、観光するには最悪のコンディション。とりあえず見た雰囲気では、かなりパリを意識して街作りをしていると思った。きっとあこがれていたんだと思う。ローヌ川沿いはまるでセーヌ川沿いの風景みたいだし、エッフェル塔もどきのタワーまで立っていた。帰りがけに、トラムを待つ間、雨宿りも兼ねてまたマックに入る。今度はフィレオフィッシュ。肉より魚の方が美味しいと思う。

フランスの駅では、必ず時刻表の前に人だかりができる。電車の発車ホームが20分前ぐらいにならないと決まらず、時刻表で必ずチェックしないと電車に乗れないないからだ。なので、ダイヤはルーズでも電光掲示板の整備はしっかりしている。

帰りはTGVでジュネーブまで。この路線は在来線を使って走るので、TGVの本来のスピードで走ることはできない。ならばTGVでなくてもいいのかと思うが、停車駅が多すぎで時間がかかりすぎるので、TGV以外に選択肢はない。ジュネーブまで途中停車駅は1カ所だけだった。

ちなみに、ジュネーブ駅はホームによってフランスセクターとスイスセクターが分かれており、その間を行き来するには税関や入国審査場の置かれた通路を通る必要がある。但し、昨年からスイスはシェンゲン条約加盟国になったので、施設があるだけで機能はしていなかった。

ローザンヌ到着は夜の8時頃。まだ十分明るい。ローザンヌは治安が良くて本当にホッとする。

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