宇宙開発の話

なかなか情報量が多く、読み応えのあるコラムを見つけました。私のおすすめは、1と4でしょうか。

方針転換か、米有人月探査構想

(1)不格好なロケット「アレスI」

(2)もう一つの道「フレキシブル・パス」

(3)強まる中国の存在感に対応か

(4)混乱する日本の方針決定

これらのコラムは、やはりアメリカの月探査計画は中止になりそうだという最近のニュースから発見しました。アメリカの宇宙開発のジリ貧さを象徴するかのようなアレスは特に、さっさと開発をやめるべきという考えには大いに賛成です。これは、初めから本当に見るからにおかしかったです。Windows Me、Windows Vista的な失敗作です。

ブッシュ大統領は、本当に強いアメリカを象徴する伝統的な大統領だったんだなぁと思いました。頑張ったけど、アポロの頃とは時代が変わってしまったということなのだろうと思います。

アメリカでブッシュがオバマに替わり、日本で自民党から民主党に政権交代したのは、偶然のタイミングの一致なのでしょうが、こういう変化がほぼ同時に起きたというのは興味深いことです。

一方で日本。

ほんと、日本の宇宙開発計画がニュースになった時、月探査の話に「二足歩行ロボット」という単語が出てきたときには、ひっくり返るかと思いました。そのプレゼンをしてしまったのが、あろうことに毛利衛さんだったとは。ちゃんと自分の頭で考えて自分の考えを言えば良かったのに。少なくとも私にとっては、この提案は毛利さんのイメージに対して大いにマイナスになりました。

こんな珍妙な案を吹き込んだ黒幕は、一体どこの誰なんでしょうね。。。私は自分の技術PRに邁進するがあまり自信過剰に陥り、外が見えなくなっているどこかの大学の教授じゃないかと勝手に想像していますが。企業の人間なら、絶対こんなこと考えないし、提案しないと思います。

重力がはたらく地上で活動する上で、どのような形態が適しているのか、すなわち無理なく開発が可能かということは、普通の人間なら本能的にわかると思うんです。バブルの去ったロボット技術開発関連予算の底上げを図りたかった気持ちはわかりますが、宇宙開発に絡めるとは、地球上でもまだ危なっかしくてまともに使えないというのに、冒険しすぎです(笑)。

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語学のお勉強

先日、新聞に掲載されたセンター試験の英語の問題を眺めていました。今の自分だとどれくらいわかるんだろうかとか、そんな気持ちで。

で、いきなり面食らったのが相も変わらず生き残っている、最初の発音問題。アクセントの位置が同じとか、違うとか、同じ発音の単語を選べとか、そういう問題。

ありました。確かに、僕も昔沢山解いた記憶があります。

しかし、この試験対策をやったおかげで、正しい発音で英語を話せるようになったと喜んでいる日本人は、一体どれだけいるのでしょうか。むしろ、発音以前に、会話すらできない、文章が浮かんでこないと悩んでいる人の方が多いのではないでしょうか。

こんな重箱の隅をつつくような問題、いい加減廃止すればいいのにと思います。テストだから、なるべく変な問題を作って差をつけたい気持ちもわかりますが、こんな問題で特殊な単語の正しい発音の認識能力、発話能力を身につけたところで、あまり役に立たないと思います。このための試験勉強をしても、実際の会話で役に立つ国なんてそんなに多くないと思います。

むしろ、実用性を考えるんだったら、世界中の訛った英語を聞き分ける問題を作った方がいいんじゃないかと思います。フランス系、スペイン系、イタリア系は、発音を聞いただけで、どこ出身かがわかるぐらいかなり特徴がありますが、インド系、中東系なんかは、アクセントの位置もめちゃくちゃだし、母音の発音も違っていて、かなり奇妙な英語に聞こえます。

多くの人にとっては、意図を伝え、日常生活を送るための手段としての英語であって、意地の悪いテストでハイスコアを取ることを目的とした英語ではないのです。

最近、学校でフランス語の授業を受けながら感じることも、似たようなことです。僕の大学時代の第二外国語の授業を思い出すと、一つは文法、もう一つはリーディングという感じで、ひたすら時制、動詞の活用、冠詞の用法・・・の説明を受けつつ、フランス語の長文を読み進めるという授業でした。

まあ、確かに仏文学を専攻した人が先生になるとこんな授業になるんだと思いますが、この伝統的な、文法、リーディング、という授業形態、何とかならないものかと思います。

授業は眠くなるし、実生活で全然役に立たないのです。

もっと、シチュエーションごとにテーマを絞って、そこで登場する単語や、文法を関連づけながら学習する方がよっぽど実用的だと思います。

例えば、駅で切符を買うとか、レストランでメニューを見て注文するとか、一日の生活スタイルを他人に説明するとか、スーパーで買い物するとか、部屋の掃除をするとか。色々あると思います。

そして、文章を朗読する以外に声を出す機会の無い授業はあり得ないと思います。自分の考えているイメージを言葉に変換するトレーニングを積まないと、会話はできないからです。先生の書いた板書をノートに書き留め、文章を朗読する、これだけでは知識で頭でっかちになるばかりで、いざというときに使えないのです。

もちろん、文法を知らなければ正しい言葉かどうか判断できませんし、文章を「組み立てる」こともできないと思います。でも、よくよく考えてみると、文章を「組み立てる」という作業は文法の知識でいっぱいになった大人の頭の人がやる作業であって、日常会話というのは、使い慣れたフレーズを音で覚え、そのまま再現する作業だと思います。

そこに小難しい文法による解釈が挟まる余地はありません。

男性名詞も、女性名詞も、発音したときの音感、語呂で覚えるものです。その単語を使った文章がワンフレーズ、音として思い出せれば、男性名詞か女性名詞かがわかるという仕組みです。

フランス語は特に、理由もなく決まっているルールが沢山あって、理屈で考え、文章を組み立てることを放棄するのにはとても適した言語だと思います。

外地に来ると、はっきり言って英語は使えて当たり前です。TOEICのスコアが760を超えるぐらいが海外勤務の基準だとか、オーバー900を憧れるとか、そういうレベルではありません。そもそも、こういう価値観がありません。例えスコアが低くても普通に生活は出来ますし、スコアが高くても会話ができるとも限らないからです。

最低でも3カ国語は話せて当然という人が周囲にウヨウヨいると、ああ、人間ってこれが普通なんだ、やれば出来ることなんだと思えるようになります。すると、何で自分にはできないんだろう、そんな難しいことではないのかもしれない、と逆に思わされるようになります。

繰り返しになりますが、日本で生活していると、利用する機会が少ないので特に、語学勉強は資格試験で高いスコアを取ることが目的になりがちです。しかし、本来は日常生活を便利に過ごすため、もしくは仕事遂行上の手段であるということを忘れてはいけないと思います。そして、語学勉強のカリキュラムはこの目的に沿って構築されるべきだと思います。

入試に必要なTOEFLとかを除き、資格試験のスコアで意味もなく最高点を目指すとか、スコアの増減で一喜一憂するのは本末転倒なことであると思います。

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好き勝手にいわせて

何となく、第2回。

日本の政治は、民主党小沢幹事長の政治資金の不正運用疑惑でもちきりですね。

所詮、民主党も自民党の生き残りのような政治家によって回されているのかと思うと、日本の政治は一体誰に未来を託せばいいのかわからなくなり、非常に空しく感じます。

そして、旧態依然として変わらない政治家の往生際の悪さ、何とかなからないものでしょうか。結局これは、世の中に対する政治家の甘えだと思います。自らの行動に対する責任の自覚が弱く、「何か道理に合わないことをしても、説明すれば許してもらえるだろう」、「ひとときの言い逃れをして、嵐が過ぎるのを待てば忘れてもらえるだろう」、「法律の抜け道を探して、私腹を肥やそう」という甘い考え方が根底にあると思います。発言、約束、契約に対する責任の自覚が弱く、コロコロと変わる思想、その場しのぎの軽はずみな発言、過去の発言と矛盾する説明、度重なる発言の訂正。そして、声を上げ、矛盾を糾弾することなく受け流してしまう、正義感の弱い周囲の政治家と、世論。

事件の経緯の説明の過程でウソをついたら、それで政治家としてはおしまいになるべきです。小沢幹事長は既に複数の点において過去の発言を訂正し、言い逃れを続けています。

お互いがお互いの傷をなめあい「自分にも何かあった時にはよろしく」という暗黙の了解で、周囲の評価の甘さに甘えているのが、生ぬるい日本文化の特色だと思います。(治安が良くて、平和ボケしていると、こういう思想になってくるのかもしれません。適度なタイミングで脅威をもたらしてくれる東アジアの諸外国政府、犯罪組織には感謝しなければ。。。)

ところで、小沢幹事長は、ある意味、竹下、金丸といった古狸みたいな政治家の血を引く伝統的な自民党の政治家です。東京地検と徹底的に抗戦する構えは、見方を変えれば、非常に筋金の通った政治家だなぁと思います。秘書にすべての責任をなすりつけ、権力にしがみつき、徹底的に自らの不正の言い逃れに全エネルギーを注ぐ信念の強さ、執念深さは、最近の新人議員には無い姿だと思います。

最近の政治家は、政治家としての人生を歩むこだわりもそれほど強くないのではないかと思います。不正を指摘され、追及されたらあっさりと認め、ごめんなさいをして、辞職して政界から離れ、第二の人生を模索していくのではないかと思います。自民党終末期の度重なる首相交代劇、鳩山首相の発言の軽さには、この思想的な世代交代の傾向が現れてきているのではないかと思います。

その点、小沢幹事長の一連の言動からは、伝統的な日本の政治家の貫禄さえ感じてしまい、こういうしたたかで心の強い政治家が日本からいなくなっていくのかと思うと(勝手に決めてますが)、逆に将来を案じてしまう気持ちにさえなります。

民主党に、新人議員だけが取り残されたら、どうなるでしょうか。民主党の委員会の中での議員のやりとりとかを映像で見た限りは、なんか、そこら辺の団地の自治会での住民同士の議論や、PTAでの親同士のやりとりを見るような感覚になります。

庶民感覚がそのまま政治に乗っているという点では、いいのかもしれませんが、なんか、政策を議論する以前に、政治家になって国会の一員として議論に参加し、国民の代表として発言している(つもりになっている、勘違いの)自分の姿に酔ってしまっていて、非常に醜いです。数いる政治家の中で目立つことに既に精一杯、浮き足立っていて、危険だなぁと思います。国会議員として自らの思想を問い、政治に参加する以前の問題なんです。議論が浅はかというか、政治家としての貫禄のなさが、政治のプロというイメージとかけ離れていて、こんな人たちに日本の将来が任せられるのかなぁと不安になります。

というわけで、何を信じていいのか、誰に国民の権利を託せばいいのかがわからず、日本の政治には暗澹たる気持ちになってしまいます。自民党型伝統的政治が崩壊した今は、新しいスタイルを確立するための、混沌とした時期なのだと思います。

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演奏会の予定とか

演奏会とはいっても、弾く方ではなく、聴く方なのですが。

冬~春はヨーロッパツアーのシーズンのようで、色々なオケや演奏家が来るので、いくつかチケットを購入してみました。せっかくヨーロッパの真ん中にいるんだし。

しかし、若い人は特にですが、ここスイス(ていうかドイツやオーストリア以外ほとんど?)では、クラシック音楽の知名度が予想以上に低いです。ウィーンフィルのホームページがドイツ語、英語、日本語で、ムターのホームページが英語、中国語、日本語、ドイツ語で用意されているのに象徴されていますが、ヨーロッパでのクラシック音楽って、日本でいう能とか歌舞伎とかそういった感覚なんでしょう(あくまで予想ですが)。

今回選んだ演奏会は、チケットが取りやすいかは別として、日本にいればいずれ必ず聴けるであろう演奏ばかりです。メジャーなクラシック演奏家がツアーで日本を外すわけがないので。

Sat. 13. February 2010 19:00-
Berliner Philharmoniker
Sir Simon Rattle Conductor
Mitsuko Uchida Piano
Philharmonie

György Kurtág
Grabstein für Stephan
Jean Sibelius
Symphony No. 4
Ludwig van Beethoven
Piano Concerto No. 5 in E flat major »Emperor«

第1弾は、ベルリンフィルです。実は私、ベルリンフィルの演奏会は初めてです。このために、ツアーを迎え撃つのではなく、わざわざベルリンまで遠征します。金曜日の夜にBaselからCityNightLineに乗り電車内で一泊し、日曜日にInterCityExpressでBaselまで帰ってきます。Lausanne-Berlinは10時間ぐらいかかる長旅です。

ちなみに、ピアノコンチェルトを弾く内田光子さんて有名な方なんですね。僕は知りませんでした。ピアノ曲にも詳しくないのですが、さすがに皇帝は知っています。

私は楽器の音を鳴らすことにばかり興味があって、クラシックのうんちくには疎いのです。一連の演奏会、きっと猫に小判です。

Thu. 18. February 2010 19:30-
Wiener Philharmoniker
Lorin Maazel Conductor
Musiksaal Stadtcasino Basel

Ludwig van Beethoven
Sinfonie Nr. 6 F-Dur, op. 68 («Pastorale»)
Claude Debussy
«La Mer», Drei sinfonische Skizzen
Maurice Ravel
«Daphnis et Chloé», 2. Suite

第2弾は、ウィーンフィルです。ウィーンフィルの定期は直前のキャンセル待ち以外チケットが取れないので、基本はツアーを追っかけることになります。幸いにも近場のBaselで演奏会があるようなので、学校帰りに聴きに行くことができそうです。

田園、海、そしてダフクロ。曲がメジャーなのでよかったですが、チケット185CHFはベルリンフィルの78EURに比べてかなり高いなぁ(ツアーだから?どちらも同じ、いわゆるS席)と思いました。

Sat. 15. May 2010 19:30-
Pittsburgh Symphony Orchestra
Manfred Honeck Conductor
Anne-Sophie Mutter Violin
Musiksaal Stadtcasino Basel

Johannes Brahms
Violinkonzert D-Dur, op. 77
Antonín Dvořák
Sinfonie Nr. 8 G-Dur, op. 88

第3弾は、ムターです。これまた演奏会で聴くのは初めてです。ヴァイオリニストの端くれとして、是非聴いておきたいと思ったので奮発しました。曲目もメジャーです。ブラームスのヴァイオリンコンチェルトと、ドボ8です。

日本みたいにクラシックの雑誌が見つからない(見てもどうせわからない)ので、演奏会探すのに結構苦労しました。あと有名どころでは、ヒラリー・ハーンとランランが台風のようにヨーロッパ大陸を通過していくのですが、日程が合わないのであきらめました。

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Picasa

画像を共有するサイトはいろいろあると思いますが、僕はPicasaが便利かなと思います。

アプリケーションはPC上での画像管理に使えるし、Googleアカウントと連動していて、そのままウェブに一気にアップロードもできるので、使い勝手がいいのがたまらない。

こういう風にユーザの要求にピンポイントで応えてくれるかどうかで、ソフトウェアのクオリティは決まると思います。

mixiのフォトアルバムも今まで何度か使ってきたけれど、画像サイズの制限がきついことや、一度に5枚ずつ、それもいちいちファイル指定しなければいけないのが非常に直感に反して、あまり使う気になりません。ていうか、使ってもらうのを拒否しているとしか思えない使いにくさです。

こうしてまた、気づけばGoogleに画像処理の研究材料を提供してしまっているのだなぁと思いつつ、この気づかないうちに引き込まれていってしまう使い勝手の良さこそ、Googleが検索サービスでトップシェアに上り詰めた原点だよなぁと思いました。

ちなみに、最近の画像を大体アップしました。横幅1600ピクセルぐらいあるので、クオリティは壁紙に使えるぐらい、まあまあよろしいかと思います。

スイス小旅行写真集とか

http://picasaweb.google.jp/Photo.Kawasemi

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