オケと演劇の関係

今日は,長文ですよ...

今日は朝から密度の濃すぎる一日で,かなり体力を消耗したように思います.そもそも,ここ2日あさ5時起きなのに,土曜日まであさ7時起きで,10時から合奏練習なのは辛い.

今日のビッグイベントは,弦練でコンマスをやったことと,お芝居を観にいったこと.

弦練の方は,何とか周りの迷惑にならない程度に代役を果たせたと思うが,明らかに皆さんに助けられていたという感じです.

オケのコンマスをやるからというには,それなりの信頼がないと駄目なんですよねぇ.僕なんか新入りで,ご指名があったのでいきなりやらされたようなもので,自分と比べ物にならないくらい今まで何年とオケで活動してきた人達からすれば,「お,何が起こったんだい,ついに世代交代かい...今日は練習出てもあまり意味ないなぁ」状態です.

「自分は駄目でも,コンマスを見ていれば何とかなる」ぐらい信頼のおける存在にならなければ意味がないわけで,普段の団員とのコミュニケーションとか,演奏の技量以上にその人の人間性も結構重要なんじゃないかと思ったりします.

独りよがりかもしれませんが,僕がオケのコンマスをやるんだったら,全員で一つの曲を作り上げているという一体感が味わえるオーケストラにしたいと思います.お互いがお互いのことを良く知っていて,アットホームな雰囲気が好きなのです.ちょうど,今所属している会社のような感じでしょうか.それぞれの個性はあっても,それぞれがお互いの長所を持ち寄りながら,集団としてインパクトのある活動をできるということに魅力を感じるのです.

昔,ミッキーのアニメーションで,たくさんの動物達がオーケストラを作って,演奏しているというシーンを見たことがあります.象がチューバを吹いていたり,リスが縦笛を吹いていたり.恐らく,象が縦笛を吹いていたら何となく変なのです.それぞれの動物に特技があって,その特技を自信を持って披露しているということが重要なのです.このシーンは,まさにオケが個性の集まりであるということを象徴したものだったんだなと,いまさらながら思います.

個性のある人々は,それぞれが直接接してしまったら,きっとお互いに意見が対立し,跳ね返ってバラバラになってしまいます.だから,その中間でうまくつながりを持てるようにする,接着剤のような役目がコンマスなんだろうと,僕は思います.

そう考えると,特にアマチュアでは「自分は凄い技術があって何でも弾けるんだよ,イエーイ...」って人はきっと,ソロの活動をしていて,あまりオケには参加しないんじゃないかなと思います.

もちろん技量がなければ信頼もされませんが,その人がハブとなってあらゆる個性を結びつけることができ,多様な価値観を理解できるような,あまり個人的な主張の強すぎない人が向いてるんじゃないかと思います.

まあ今日に関して言えば,でっかい若葉マークを背負って演奏したので,周りに影響されやすい,確固たる信念の見えない演奏になってしまいましたが,ごめんなさいとしか言いようがありません.(大学オケのときにちゃんとやってればよかった...)

でも,またチャンスがあればやりたいなと思います.

さてさて,今日はイベントめじろ押しなので,まだ終わりません.(明日も休みだし...)

オケ練の後,練習後の飲み会もパスして今日はお芝居を見に行ってきました.

まず,感想を言うと,いつもながら,とても新鮮な経験でとてもドキドキ,ワクワクして楽しかったという感じです.ちょっとドキドキ感を安売りしすぎなんじゃないの,と思う人もいるかもしれませんが,本当に高校の文化祭の演劇部の出し物以来,こういった類のお芝居を見たことがなかったのです.

全力で役を演じる,その「熱さ」に圧倒されました.毎回思いますが,役者さんはよくこんな「温度の高い状態」を何回も公演で繰り返せるなぁと,感心してしまいます.

メジャーどころでは劇団四季のミュージカルとかは社会人になってから見る機会もありましたが,それとはまたちょっと雰囲気の違うお芝居なんです.

前の日記にもちょっと関連したことを書きましたが,僕は舞台に立つ人々を見ると,それを演じる人々の側に立って色々想像して物事を考えてしまいます.つまり,素直にストーリーを楽しんでいる一方で,このストーリーを演じる人々は普段どんな生活をしていて,どんな気持ちでこの役を演じているだろうとか,その役を演じる役者さんの本当の姿,プライベートな側面を色々想像してしまうのです.

そういったことを考えていると,「じゃんけんの出し方を覚えたり,向く方向を覚えるのは大変だろうなぁ」とか,「どんなに小さな役でもこの舞台に立てたことは,役者さんにとってきっとうれしいに違いない,だから,観客の一人として役者さん一人ひとりに拍手を送ろう」とか,余計なことを勝手に色々考えてしまうのです.

昔はあまり興味がありませんでしたが,演劇って,なんかとても魅力的なものに思えてきました.

オケとまったく同じなんです,それぞれがそれぞれの個性(オケとは違って,楽器の演奏ではなく,それはその「人」そのものなのですが)を持ち寄って一つの大きなインパクトのある活動をするという点が.(ちなみに僕は,途中,緊張感のない雰囲気でみんなでラーメンを食べているシーンが妙に気に入っちゃいました.)

皆さんがとても幸せそうに役を演じている姿を見た時,僕も幸せになれたような気持ちがします.

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ねむい

明日はオケ練があるので,昨日今日とちょっとがんばって朝早く会社に行って,楽器の練習してました.

バスの始発が5時30分,会社につくのが7時ちょっと過ぎ...都心から遠い家は大変です.それに,今の時期は6時過ぎてもまだ日の出にならないので,家を出る頃はまだ真っ暗だし,半端じゃなく寒いです.

前の晩どんなに強く心に誓っても,朝の寒さと,暖かいベッドの誘惑に負けそうになるのですが,一瞬だけでも起き上がる気合を入れられればあとは意外と楽だったりします.

でも,おかげでなんかとっても寝不足な雰囲気でまぶたが重い感じです.明日も早いので今日はもう寝ようZzz…

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お金と幸せの関係

今日はちょっと株の話.

日経平均株価が1万5千円を突破して,ここのところずっと右肩上がりを続けているので,リスクを負う心配感を我慢して株を買えば,とりあえず儲かるという状況になってます.

初めの頃は1000円でもゲットできればラッキーと思っていたのに,そのうち10000円はゲットできないと喜ばなくなってきて,人間(自分)とはいかに欲深いものかと思ってしまいます.

何もせずに,ただウェブ上でボタンをポチポチするだけで,たった数時間でかなりいいバイトの日当に相当する額が手に入るというのは,世の中なんか間違ってる気がします.

学生の頃は1ヶ月のバイト代が6万ぐらいで,たまに二ケタ万円のとかもらった日には,なんてすごいんだろうなんて思ってましたが,いまは給料で当然のように毎月二ケタ万円もらっているわけで,感覚がマヒしてしまうのは,恐ろしくも,悲しくもあります.

でも,いくら株で儲かるからといっても,生計を立てる気にはとてもなれません.今はたまたま条件がいいだけで,いつかは価格が収束,もしくは調整の場面が間違いなくやってくるからです.

少なくとも,こんなことでお金をもらっても,他に生きる喜びを感じられるような活動をしていないと,まるでお金の価値が感じられなくなるような気がします.

結局,お金は幸せ実現の一つの手段であって,目的ではないんです.

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進歩した?

11月も終わってしまったです.2005年も最後の月となって,僕の誕生日(1月)もだんだん近づいてきました.

精神的な成長という実感を伴わないまま,数字だけ増えていくのはなんとも残酷な話ですね.いよいよ三十路っ子クラブの入り口も見えてきましたが,入会資格があるかが,かなり謎です.

果たして年齢とともに何かが進歩しているのか...入社当時の自分と今を比較すると...

・社員証に写っている自分の姿とは,外見が結構変化しているらしいが,進歩しているのかどうかは不明.

・会社オケに入ったことも影響しているが,楽器は昔より確実に上達していると思う.これは分かりやすい.

・精神的には,結構落ち着いてきたか...結果を焦って得ようとせずに,地道な作業を積み重ねることができるようになったかも.ただ,精神的に年老いただけで,進歩とは言わないかも...

まあ,変化はしてますが進歩と呼べるかどうかは微妙ってことですね.そもそも,齢を重ねれば自分の中で何かが進歩するという前提条件がちょっと危ういってことなのかな.

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舞台に立つということ

今日はCatsを見に行ってきました.

久々のミュージカルだったのですが,今回もとてもすばらしい舞台でとても感動しました.僕が一番気に入ったのは,やっぱりグリザベラのMemoryでしょうか.このシーンは,他のどのシーンよりも強いメッセージが伝わってきて,またしても密かにウルウルモードでした.最近涙腺故障中です.

舞台を見ていつも思うのは,いい意味で「この人ちょっと違う」という役者さんは,必ず舞台に出てきた瞬間に,そしてワンフレーズ歌った瞬間に,わかるものだなということです.舞台に立つその落ち着いた雰囲気からはオーラが出てるし,自信に満ちた歌声には安心して耳を傾けることができます.

僕が大学オケに入る時,度胸試しみたいなイベントがあって,団員全員の前で何か1曲ソロを披露するというイベントがあったときに,指導してくれていたN響OBの先生が話していたことなのですが,例えば,NHKの「のど自慢」のような番組であれば,どんな鐘が鳴らされるのかは,出演者が登場してきてマイクの前に立つまでの時間で大体予想がついてしまうのだそうです.

音楽の演奏会であれば,たとえどんな私情で気分の乗らないことがあったとしても,演奏者が自信を持ち,喜びに溢れた姿で舞台に立つということは,観客の皆さんに対する礼儀のようなものだということは,小さい頃のViolinの発表会やら中・高の部活とかを通じてずっと思ってきたことです.

観客の立場に立ってみて,あらためて確信を深めた夕べだったのでした...

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